以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
参考に、以下、「」内。基本的に、私の前の投稿文より、東京都心部の我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、自動車で、2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある、私の別荘に関する話です。
「私の別荘は、比較的裕福な人々が保有する様な、典型的な別荘とは異なり、敷地面積85坪(約280平方m)程の、庭のある、庶民的な、中古の、一戸建て住宅ですが、眺めが良く(窓等からの景色が良く)、そこで過ごしているだけで快適です(1階にある、居間(living
room)で、過ごすのも快適ですし、また、2階にある、寝室(bed
room)の窓からの眺めは(景色は)、素晴らしいです(特に、良いです))。ちなみに、2階の寝室(bedroom)の窓は、広く開くようになっており、山々の眺望が綺麗に見えます。まあ、長野(nagano)県の、私の別荘に滞在中は、周辺の森をハイキング(hiking)・散歩したり、周辺をdriveしたり、何だかんだ言って、出掛ける事が、多いのですが。。。ちなみに、別荘の風呂(bathroom)とトイレ(toilet)は、全取っ替えと言って良い程の、大改装をしており、トイレ(toilet)は、東京の我が家のトイレ(toilet)同様、暖房便座・ウォシュレット付きのトイレ(toilet)で快適です。」
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
別荘周辺のスープ(soup)料理レストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3761613/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2019年に行った投稿から抜粋して来た物です(概ね再掲)。4月の下旬に、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、東京都心部の我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、自動車で、2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘に滞在した時の物です。
かなり前の事ですが、一昨年の4月の下旬に、彼女と、東京都心部の我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、自動車で、2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在した時の物です(投稿の機会を失っていた物)。
桜の花は、おそらく、日本人に、最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(emblem)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です(日本には、法定上の国花はありませんが、桜の花は、(菊と共に)慣習上の国花として、昔から、国民達に親しまれて来ました)。日本には、所々に、桜の木が植えられており、春には、日本各地で、所々で、桜の花が咲きます。
以下、この時の3日目(以下、この日と書きます)からです。
この日は、早起きをし、別荘周辺から、少し足を延ばし、長野(nagano)県の南部の北部area(長野(nagano)県の南部の北東端部)の人口6,000人程の町、高遠(takato)(峠や山を隔てて、私の別荘のある、長野(nagano)県中南部areaの南から西に隣接しています)にある、高遠(takato)城(castle)跡の内の高遠(takato)城(castle)址公園に、桜の花を見に行きました。
高遠(takato)城(castle)跡(敷地面積126,000平方m(約38,000坪)は、高遠(takato)を統治していた地方領主、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)の城(castle)、高遠(takato)城(castle)(その起源は、14世紀頃まで遡ると思われますが、城(castle)として本格的に整備されたのは、1547年)の跡です。
ちなみに、高遠(takato)を統治していた内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、別荘の一つ(敷地面積は、高遠(takato)城(castle)とは、比べ物にならない位、遥かに(ずっと)大きく、広大な敷地を有していました)の敷地は、現在は、都市公園となっています。
現在は、都市公園となっている、元(かつての)、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、別荘の一つ(現在の、東京都心部西部に位置し、広大な敷地面積を有していた)の敷地に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
新宿御苑(薔薇)他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976298?&sfl=membername&stx=nnemon2
新宿御苑(薔薇)他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976296?&sfl=membername&stx=nnemon2
新宿御苑(桜)1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976644?&sfl=membername&stx=nnemon2
新宿御苑(桜)2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976642?&sfl=membername&stx=nnemon2
新宿御苑(桜)3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976641?&sfl=membername&stx=nnemon2
新宿御苑(桜)4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976640?&sfl=membername&stx=nnemon2
封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)がありました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物である、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと共に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。ちなみに、高遠(takato)を統治していた地方領主、内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)も、近代において、貴族階級に組み入れられ、子爵となりました)。
高遠(takato)城(castle)も例外ではなく、1871年に、城(castle)の敷地内の建物は、取り壊され(一部は、民間に払い下げられて、個人の住宅等に移築された)、また、城(castle)の敷地内の樹木は、競売にかけられ売り払われました。その後、高遠(takato)城(castle)の跡は、荒地となってしまいましたが、1870年代半ばに、これを見兼ねた、旧(かつての)高遠(takato)藩の藩士達(高遠(takato)の、元(かつての)、侍(samurai)階級の人々(高遠(takato)を統治していた内藤(naito)家(高遠(takato)内藤(naito)家)に仕えていた、元(かつての)、侍(samurai)階級の人々))が、高遠(takato)城(castle)の跡の一部(敷地面積54,000平方m(約16,300坪))を公園として整備し、コヒガン(kohigan)桜を植え始めました(wikiを参考にしました。。。)。その後、その公園は、徐々に、コヒガン(kohigan)桜が植えられて行くと共に(公園のコヒガン(kohigan)桜が増えて行くと共に)、整備が進められ、現在の、高遠(takato)城(castle)址公園(植えられているコヒガン(kohigan)桜の数、約1,500本)へ発展して行きました。世界中で、コヒガン(kohigan)桜(someiyoshino(現在の日本において、最も、一般的な桜)に比べ、花が小さく、花の紅色が、比較的濃いのが特徴)の群生が見られるのは、高遠(takato)城(castle)址公園のみ(高遠(takato)から寄贈された物を除く)となっています(wikiより)。また、高遠(takato)城(castle)址公園は、日本さくら(sakura・桜)の会が選定した、日本の桜の花の名所100選(日本の100大、桜の花の名所)の一つに選ばれると共に、長野(nagano)県のみならず、東日本を代表する桜の名所の一つとなっています。
写真以下、高遠(takato)城(castle)址公園。高遠(takato)城(castle)址公園は、桜の花の時期は、とても多くの観光客が訪れ、賑わいます。
この時、高遠(takato)城(castle)址公園の桜の花は、丁度、見頃でした。個人的に、今まで生きてきた中で、高遠(takato)城(castle)址公園は、この時を含めて、(全て、桜の花を見る目的で)5回訪れていますが、内、一回は、幼い頃で、記憶に残っておらず、また、一回は、桜の花を見る目的で訪れたものの、桜の花は、まだ見頃前でした。したがって、記憶に残っていて、且つ、桜の花が見頃だったのは、この時を含めて3回だけです。
前述の通り、この日は、早起きをし、別荘を出ました。この日の昼食は、桜と花と高い山々が綺麗に見える、ベンチ(bench)に座り、行きに、コンビニで買って来た、弁当(bento)(簡易な食事)、サンドイッチ(sandwich)、お握り(onigiri・rice
ball)で済ませました。
高遠(takato)閣。1936年に、高遠(takato)出身の、近代日本伝統画家(池上 秀畝(ikegami syuho))、出版業の実業家、鉱山業の実業家、弁護士の4人の寄付により、高遠(takato)町の町民の集会所として、高遠(takato)城(castle)址公園に建てられた建物で、地域住民の集会所(各種活動の場)及び、観光客の案内所・休憩所として使われています。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
高遠城跡後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3976638?&sfl=membername&stx=nnemon2