参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、基本的に、2013年の10月の前半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2013年の10月の前半の投稿を前提としています)、彼女(私の今の彼女)と、日本橋(nihonbashi)areaで、食事等をした時の物です。ちなみに、この時、彼女は、大学生でした。
今週の火曜日(以下、この日と書きます)は、個人的に、(かなり早目に仕事を終えると言う形で)、半日弱、休みを取りました。この日は、仕事の終わりに、日本橋(nihonbashi)の取引先を訪れたのですが、その後、午後3時過ぎ位に、東京国立近代美術館(東京都心部の中でも、中心的な地域にある、国立の近代美術館)で、この時行われていた、竹内 栖鳳(takeuchi
seihou。1864年生まれ。1942年に亡くなる。1890年代から1930年代に活躍。京都(kyoto)の画家で、近代日本伝統画を代表する画家の一人)の展覧会(exhibition)を見て来た彼女と(彼女は、この日、一日休みでした)、日本橋(nihonbashi)で待ち合わせ、合流しました。
写真以下3枚。前に、アップ(upload)した写真の再利用。日本橋(nihonbashi)の風景例。

日本橋(nihonbashi)areaの通り。日本橋(nihonbashi)(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。

日本橋(nihonbashi)areaにある三井(mitsui)本館。1929年に完成した、銀行等が入る、オフィス(office)用のビルで、第二次世界大戦前に、東京に建てられた近代建築のオフィス(office)用のビルの内、現在も残されている、数少ない物の内の一つです。現在も、オフィス(office)用ビルとして、活用されています(近代建築の保存意識の高まり等から、文化財に指定されています)。第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、日本の東京や大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)等には、重厚で、美しい近代建築のビルが、たくさんありましたが、現在は、第二次世界大戦前に建てられた近代建築のビルは、非常に少なくなっています。ちなみに、第二次世界大戦前の1920年代から、1930年代には、地震地帯では無い、アメリカのニューヨーク(New York)とシカゴ(Chicago)では、既に、次々と超高層ビルが建設されていましたが、地震地帯の、日本では、その頃は、当然、大地震に耐えられるような、超高層ビルの建築設計技術が完成されておらず、東京や大阪には、超高層ビルが存在しませんでした(もっとも、その頃は、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、日本だけでなく、アメリカ西海岸、ヨーロッパ等、世界中、どの都市でも、超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした)。第二次世界大戦が終って間も無い、1940年代後半から、(戦後復興中期前半の)1950年代半ば頃くらいまでは、東京や大阪では、主として、(第二次世界大戦時の、アメリカによる空襲で破壊されずに生き残った)第二次世界大戦前に建てられた、近代建築のビルを、引き続き活用していました。その後、高度経済成長に伴い、1950年代後期頃から、ようやく、戦後の現代建築のビルの建設ブーム(boom)が起り始め(ちなみに、日本で、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計建築する技術が成熟し、超高層ビルが建てられる様になったのは、1960年代後期以降)、1950年代後期から1960年代を通じて、東京や、大阪では、戦前に建てられた、重厚な近代建築のビルが、戦後に建てられた、機能的な現代建築のビルに、次々と、取り替えられる様になりました(その頃は、経済成長最優先であり、老朽化した近代建築を修理しながら、保存・活用しよう等と言う、ゆとりが無かった)。

写真上は、三井(mitsui)本館に隣接して建てられている、超高層ビル、日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)tower(高さ約195m。39建て)。隣接する三井(mitsui)本館に調和する様、落ち着いたデザイン(design)となっています。日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerの、主として上層階には、東京の、最高級ホテルの一つである、マンダリンオリエンタル東京(Mandarin Oriental, Tokyo)が入居しています(日本橋(nihonbashi)三井(mitsui)towerは、それ以外は、概ね、オフィス(office))。
彼女と、待ち合わせた後(高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店で待ち合わせました)、高島屋(takashimaya)デパート(1831年、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市。大阪に近い)で創業した、日本のデパートのchain。本店は、大阪(大阪には、1898年に進出。東京へは、1922年に進出))の、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel
Robuchonのカフェ(cafe)で、おやつを食べました。
写真以下6枚。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店(写真は、帰り際に撮影)。現在の建物は、1933年に建てられた物です。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店は、東京を代表する高級デパートの一つとなっています。内装は、近代建築ならではの重厚感があると共に、とても高級感がある物となっています。






写真以下2枚。この時、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)で食べた、おやつ(デザート)。ちなみに、私も、彼女も、既に、昼食は、済ませていました。Joel Robuchonのカフェ(cafe)は、この時、初めて利用しました。Joel Robuchonは、東京では、最高級classのレストランから、カフェ(cafe)まで、多様な形態の、飲食店を展開していますが、高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に入っている、Joel Robuchonのカフェ(cafe)(現在も、世界で唯一かどうかは、分かりませんが、世界で初めての、Joel Robuchonのカフェ(cafe)です)は、その中で、最も、気軽に、手頃な値段で、食事が出来る店となっています。

彼女が食べた、おやつ(デザート)。

私が食べた、おやつ(デザート)。
写真以下6枚。Joel
Robuchonのカフェ(cafe)で、飲み物を飲んだりしながら、のんびりした後、たいめいけん(taimeiken)で、この日、1回目の夕食を、食べてから、地下鉄で、私の街に帰りました。たいめいけん(taimeiken)は、1931年創業の、日本橋(nihonbashi)の、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランです。
写真以下2枚。たいめいけん(taimeiken)のパンフレット(leaflet)より。。。

写真上、昔の、たいめいけん(taimeiken)の建物。写真下、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)。泰明軒(taimeiken)本店(honten)(1885年創業の、東京の京橋(kyobashi)(日本橋(nihonbashi)に近いbusiness・商業地区)の、西洋料理・洋食(yoshoku)・中国料理レストラン。現在は、存在しない)に、勤務した後、独立。たいめいけん(taimeiken)は、元々、泰明軒(taimeiken)本店(honten)の支店として開業しました。その名残か、たいめいけん(taimeiken)は、洋食(yoshoku)レストランですが、メニュー(menu)には、ラーメンがあります。現在の、たいめいけん(taimeiken)の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、3代目で、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の孫に当たります(ちなみに、たいめいけん(taimeiken)の、2代目の、オーナー(owner)兼シェフ(chef)は、たいめいけん(taimeiken)の初代、オーナー(owner)兼シェフ(chef)の息子)。

現在の、たいめいけん(taimeiken)の建物。1階が、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食(yoshoku)レストラン、2階が、比較的、高級な洋食(yoshoku)レストランとなっています。この日は、1階の、手頃な値段の、カジュアル(casual)な洋食(yoshoku)レストランの方で食べました(1階の方は、値段が手頃で、気軽に利用でき、かなり大衆的な雰囲気です)。たいめいけん(taimeiken)は、日本橋(nihonbashi)の、歴史のある、洋食(yoshoku)レストランで、古くから、作家や、映画監督等の、常連も、多い店です。
写真以下4枚。たいめいけん(taimeiken)で食べた、この日、1回目の夕食(軽食)。二人共、オムライス(omerice)を食べました。たいめいけん(taimeiken)の、オムライス(omerice)は、美味しいと思います(オムライス(omerice)としては、ちょっと高いですが。。。)。

彼女が食べた、牛肉の、オムライス(omerice)。中に、牛肉のピラフ(pilaf)が入っています(オムライス(omerice)の、ご飯(rice)は、牛肉のピラフ(pilaf)となっています)。ドミグラスソース(demi-glace)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。
写真以下3枚。私が食べた、ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)。ケチャップ(ketchup)を、自分で、お好みの量(好きな量)、かけて食べます。ご飯(rice)の上に載った、半熟のオムレツ(omelette)を、真ん中から、切り開いて食べる形式の、オムライス(omerice)は、今では、日本で、かなり広まっていますが、この店が、発祥のようです。



日本橋(nihonbashi)から、地下鉄で、私の街に帰ってから、この日、2回目の夕食(まあ、食事をしたと言うより、おつまみを食べたと言う感じでしたが)を、私の街の、バー(bar)的な店で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲みながら、食べました(彼女は、ソフトドリンク(soft drink)等を飲みました)。
写真以下。おまけ。日本橋(nihonbashi)とは、全く、関係がありません。

Kentucky Fried Chickenは、庶民的・大衆的な、ファーストフード(fast food)店のチェーン(chain)ですが、これは、予約注文して、店舗で受け取る形式の、Kentucky Fried Chickenの、比較的高級なチキン(chicken)商品(高品質な鶏肉のコンフィ(confit)、鶏のレバー(肝臓)とフォアグラ(foie gras)のムース(mousse)等)の、新聞の折込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)です。私は、この、Kentucky Fried Chickenの、予約注文は、利用した事がありませんが(今の所、あまり、興味がありませんが)、Kentucky Fried Chickenは、こんな事も、やっているのかと、参考に。。。ちなみに、ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、1970年に日本に進出しました(北米以外の地域に、ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)が初めて進出したのは、イギリスで、1964年に進出しました)。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、日本以外のアジアの先進国・準先進国(地域)では、香港(Hong Kong)に1973年に進出、シンガポール(Singapore)に1977年に進出、韓国と台湾(Taiwan)に、それぞれ、1984年に進出しました。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)は、今は、たまにしか利用しませんが、子供の頃は、母が、時々、チキン(chicken)を買って来ましたし、若い頃(中学生から20代半ば位まで)は、よく利用していました。ケンタッキーフライドチキン(Kentucky Fried Chicken)のチキン(chicken)は、年齢と共に、私の舌が肥えたのか、昔程、美味しいと思わなくなりましたが、それでも、たまに、食べたくなります。

ハックルベリー(huckleberry)。これで、ジャム(jam)を作ります。普段の朝食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容なので、個人的に、ジャム(jam)の需要は、多いですw

北海道(hokkaido)バター(butter)ポテトチップス(potato chips)。チープな(安い)、ポテトチップス(potato chips)としては、美味しいです。