1月の第5土曜日(以下、この日と書きます)、前日に、我が家に泊まった彼女と、弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館で、この時、行われていた、展覧会(exhibition)を見て来た時の物です。
この日は、地下鉄で、出掛けました。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。
根津神社(初詣2026)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4044153?&sfl=membername&stx=nnemon2
根津(nezu)神社(shrine)を訪れた後は(すぐ上でリンクを付けた、前回の投稿を参照)、弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館を訪れました。
弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館は、東京都心部の北東部にある、私営の美術館です。
弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館は、形式上は、弥生(yayoi)美術館と竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館に分かれています。
我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館の、最寄り駅の一つの、地下鉄の根津(nezu)駅までは、時間は、ある程度かかるものの(25分程度かかる)、交通の便は、良く、乗換え無しの、地下鉄で、1本で行けます。
日本には、もちろん公営美術館も、全国に、たくさんありますが、私営美術館も、全国に、たくさんあり、私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開する目的の物です。この様に、日本全国に、たくさんある私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開している物ですが、中には、中々、質の高い、美術品を、収蔵、公開している、私営美術館も、かなりあり、(入場料こそ取られるものの)、一般庶民もこうした収集品を見る事が出来て、公立の美術館・博物館以外でも、質の高い美術品に身近に接する機会が与えられていると言う点で、利益を受けています。
弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、静かで、落ち着いた住宅地にある、私営の、小ぢんまりとした美術館です。弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館の収蔵品(collection)は、この美術館の設立者であり、オーナー(owner)であった、弁護士の、個人コレクション(collection)が基となっており、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館は、その弁護士の方の家(敷地面積400坪(約1,320平方m)位かな。。。)の敷地の一部を利用した、小ぢんまりとした美術館です(その弁護士の方は、既に亡くなっているので、現在は、家、美術館共に、その弁護士の方の、ご家族が、引き継いでいる様です)。弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館は、特に、高畠 華宵(takabatake
kasyo)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館の設立者である、弁護士の方は、高畠 華宵(takabatake kasyo)に加えて、竹久 夢二(takehisa
yumeji)の作品の、豊かなコレクション(collection)を有していましたが、特に、高畠 華宵(takabatake
kasyo)を気に入っていた様です)。
高畠 華宵(takabatake
kasyo)(1888年生まれ、1966年に亡くなる)は、主として、1910年代から1930年代に活躍した、日本の、画家(挿絵画家、グラフィックデザイナー(graphic
designer))です。竹久 夢二(takehisa
yumeji)(1884年生まれ。1934年、病気により、49歳で亡くなる)は、1900年代末頃から1930年代初めまで活躍した、日本の画家、グラフィックデザイナー(graphic
designer)です。
前述の通り、弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館は、厳密には、弥生(yayoi)美術館と竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館の2つの美術館に、分かれていますが、2つの美術館は、館内で繋がっており、実質的には、一体の、美術館と言った感じとなっています。
写真以下2枚。弥生(yayoi)美術館の建物の一部。写真右端に少し見えているのは、竹久
夢二(takehisa yumeji)美術館の建物の一部。弥生(yayoi)・竹久 夢二(takehisa
yumeji)美術館は、通常は、土曜日・日曜日・休日でも、あまり混んでいない、穴場の美術館です。
この日は、弥生(yayoi)・竹久
夢二(takehisa
yumeji)美術館では、まず、弥生(yayoi)美術館で、この時、行われていた、近代の、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)を見て来ました。この展覧会(exhibition)は、私も彼女も、ちょっと気になっていた、展覧会(exhibition)です(この日は、この展覧会(exhibition)を、主に見ました)。
近代の、日本の、女性の、伝統衣装に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
近代着物展他(内容追加版)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3783125/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)は、日本の、男性向けの、着物(日本の伝統衣装の一つ)である、袴(hakama)と、女性向けの、着物(日本の、伝統衣装)の要素を混合させた服装です。
袴(hakama)(日本の、男性向けの、着物(日本の伝統衣装の一つ)→
https://youtu.be/He_7SXNxPh4?si=wVI_pluTGhEsyroz
女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)は、女性向けの着物(日本の伝統衣装)の、女性らしさ・華やかさ・美しさを、出来るだけ損なわずに、通常の、女性向けの着物(日本の伝統衣装)に比べると、比較的、活発に動き易くした服装です。
女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)は、日本で、19世紀後期から1920年代頃にかけて、女学校(jyogakko)(下の補足説明参照)及び大学(現在における大学に該当する教育機関を含む)の、女性の学生の制服(school unifo・rm)として、一般的であった服装です(裕福な家庭の娘が通う、小学校においては、小学校の、女子生徒(女性の生徒)の制服(school unifo・rm)としても、採用されていました)。
女学校(jyogakko):第二次世界大戦以前の日本における、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle
class)・上流階級の、家庭の娘)が通った。
現代において、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)は、日本の、女子(女性の)、大学生が、卒業式(graduation ceremony)において、一般的に着る服装となっています。
日本の女性の伝統衣装、及び、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)に関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
着物(日本の女性向けの伝統衣装)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3823146/page/31?&sfl=membername&stx=nnemon2
この展覧会(exhibition)のチラシ(leaflet)。
この展覧会(exhibition)のポスター(poster)より、この展覧会(exhibition)の展示作品例。
真ん中、高畠 華宵(takabatake kasyo)による、(おそらく、少女・若い女性向けの)雑誌の挿絵(1920年代頃)。
右側、上から。。。浅井
忠(asai
cyuu)(1856年生まれ。1907年に亡くなる、19世紀後期から活躍していた、日本の画家)による、1905年の、大津(ootsu)絵(大津(ootsu)(滋賀(shiga)県(関西(kansai)大都市圏(大阪・京都(kyoto)・神戸(kobe)を中心とした大都市圏。東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏)の北東端に位置する県)にある、中都市(中規模程度の人口を有する都市))で、17世紀から名産とされて来た、民俗絵画)より。池田
蕉園(ikeda
syouen)(1886年生まれ。1917年に亡くなる。1900年代初め頃から活躍していた、日本の、女性、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家・日本伝統画家)の、学校からの帰り道の、女学生(女性の学生)達を描いた作品(1906年)。少女・若い女性向けの服の広告より(1920年代中期から1930年代)。
左側、上から。。。「はいからさんが通る」(Haikara-San:
Here Comes Miss
Modern)(1910年代後期から1920年代初め頃の、日本を舞台とした、日本の、少女向けの、漫画作品(1975年から1977年))より(1976年)。高畠
華宵(takabatake kasyo)による、女学校(jyogakko)からの帰り道の、女学生(女性の学生)を描いた作品(1924年)。竹久
夢二(takehisa
yumeji)の、テニス(tennis)をする、少女・女学生(女性の学生)・若い女性を描いた作品(1915年)。女学生(女性の学生)に扮した、芸者(geisha)の写真(1900年代から1910年代前半頃)。
芸者(geisha)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
芸者(geisha)・舞妓(maiko)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3856449/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
芸者(geisha)・舞妓(maiko)他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/3856449/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
樟蔭(shoin)中学校・高等学校は、1917年創立の、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)の、私立の、女子(生徒が女性だけの)、中学・高校一貫校です(第二次世界大戦以前は、女学校(jyogakko)(第二次世界大戦以前の日本における、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる)でした)。この展覧会には、樟蔭(shoin)中学校・高等学校(当時は、女学校(jyogakko))の、1910年代後期から1930年代頃(厳密な年代は忘れた)の、女学生(女性の学生)の学校生活を映した動画が流されていました。
写真以下2枚。リーフレット(leaflet)より。樟蔭(shoin)中学校・高等学校(第二次世界大戦以前は、女学校(jyogakko))の、第二次世界大戦前に建てられた、校舎(学校の建物)の一つで、保存されている建物(1927年に建てられた物)。
写真以下21枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例(途中、おまけの写真を除く)。
女学生(女性の学生)を描いた、竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品(1907年)。
「少女世界」(1906年から1930年にかけて発行されていた、日本の、少女向けの雑誌)の、挿絵より(1926年)。竹久 夢二(takehisa yumeji)の作品。

おまけ。写真は、借り物。「少女世界」より、「友情」(1930年)。須藤 しげる(sudo shigeru)(1898年生まれ。1946年に、病気により48歳で亡くなる。主として、1920年代から1930年代に活躍し、当時の、少女・若い女性達の間で、人気があった、イラストレーター(illustrator)の一人)の作品。セーラー(sailor)服の、少女(女学校(jyogakko)の学生)が描かれています。日本で、セーラー(sailor)服は、1920年代初め頃から、女学校(jyogakko)の制服として採用され初め、1920年代後半から、1930年代初め頃にかけて、女学校(jyogakko)の制服の主流は、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)から、(より機能性の高い)セーラー(sailor)服へと変わりました。

おまけ。写真は、借り物。セーラー(sailor)服の、女学校(jyogakko)の学生を描いた、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品。1932年。
写真以下2枚。1910年代から1930年代頃の、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品。
写真以下5枚。1910年代から1930年代頃の(概ね1920年代頃の)、女学校(jyogakko)の学生の通学姿。服(女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama))及び鞄(1920年代から1930年代)。日傘(日差しを避ける為の傘)(1910年代から1930年代頃)。靴(1900年代から1920年代中期頃)。
1920年代から1930年代頃の(概ね1920年代頃の)、女学校(jyogakko)の学生の通学姿。
写真以下2枚。「はいからさんが通る」(Haikara-San: Here Comes Miss Modern)(下の補足説明を参照)の複製原画(1976年)。
「はいからさんが通る」(Haikara-San:
Here Comes Miss Modern):大和 和紀(yamato
waki)(1948年生まれ。1960年代中期から2010年代頃にかけて活躍していた、日本の、女性、漫画家)の、1910年代後期から1920年代初め頃の、日本を舞台とした、日本の、少女向けの、漫画作品(1975年から1977年)。恋愛漫画作品。
サクラ大戦(Sakura Wars)(1920年代初め頃の日本を舞台(舞台設定)とした、1996年の、日本の、ゲーム(video game))の、原画&設定資料集の表紙の原画(1996年)。
「サクラ大戦(Sakura
Wars)熱き血潮に」(2003年の、日本の、ゲーム(video game)で、サクラ大戦(Sakura
Wars)(1996年のゲーム(video game))のリメイク(remake)作品)の、販売促進用のイラストの原画(2003年)。
ちはやふる(chihayafuru)は、末次
由紀(suetsugu
yuki)(1975年生まれ。1990年代初め、高校生の頃から活躍している、日本の、女性、漫画家)の、日本の、幅広い層の女性(少女から大人の女性まで)向けの漫画作品(2007から2022年)で、百人一首(hyakunin
isshu)(game)(下の補足説明を参照)を、テーマとした作品です(主人公の、女性、千早(chihaya)(身長167cm)は、高校生。ただし、小学生時代も描かれている。姉は、モデル(model)をしている)。
百人一首(hyakunin
isshu)(game):日本の伝統的な、カード(cards)を使った、ゲーム(game)の一つ。競技にもなっており、特に、女性の競技として盛ん。競技において、参加者は、袴(hakama)(女性は、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama))を着用する。競技としては、対人競技であること、札を払う時の激しさ、試合が長時間に渡り、一般の想像以上に、気力、体力も求められること等から「畳(tatami)(床)の上の格闘技」とも形容される(wikiを参考にしました)。
競技としての、百人一首(hyakunin
isshu)(game)の試合の動画(何れも、女性の大学生(何れも、日本の、名門(有名な)大学の学生で、左が、東京の慶応(keio)大学の学生、右が、神戸(kobe)の、神戸(kobe)大学の学生。10枚差で、右側の女性の勝ちです)→
https://youtu.be/vNYBU-RMGrg?si=w6Km9rHE6l0H4J-X
神戸(kobe)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
神戸→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4043192?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちはやふる(chihayafuru)(2015年)。複製原画。
ちはやふる(chihayafuru)(2017年)。複製原画。
花月(hanatsuki)は、現在活躍中の、日本の、女性、イラストレーター(illustrator)です。
花月(hanatsuki)の作品で、袴(hakama)・女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)を取り入れた、現代、創作、和服(日本伝統衣装)。左から、2024年、2021年、2021年(セーラー(sailor)服と、女袴(onnabakama)・女子(女性)袴(bakama)を合わせた、高校生・中学生の制服)。
花月(hanatsuki)の、現代、創作、和服(日本伝統衣装)の作品集(2021年)。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
Gothic & Lolita→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3995230/page/16?&sfl=membername&stx=nnemon2
マツオヒロミ(matsuo
hiromi)(1980年生まれ)は、2000年代中期頃から活躍している、日本の、女性、イラストレーター(illustrator)です(マツオヒロミ(matsuo
hiromi)は、その作品が、女性に、人気が高い、イラストレーター(illustrator)です)。
マツオヒロミ(matsuo
hiromi)は、竹久 夢二(takehisa yumeji)や高畠 華宵(takabatake
kasyo)等、1910年代から1930年代頃に活躍し、当時の女性達に人気が高かった、イラストレーター(illustrator)や、第二次世界大戦後の、日本の漫画の画風等から影響を受け、1920年代から1930年代頃の、日本の世界観・服装と、現代の、日本の、少女漫画(少女・若い女性向けの漫画)の画風(描く人物の顔)を融合させた作風を特徴とする、イラストレーター(illustrator)です。
写真以下3枚。マツオヒロミ(matsuo hiromi)の作品。
写真以下2枚は、20世紀初頭の、日本の、ある地方都市における、6階建ての、虚構のデパート、「三紅百貨店(三紅(mitsubeni)デパート)」を、テーマとした作品です。
三紅百貨店(三紅(mitsubeni)デパート)は、おそらく、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店等を、モデルにした(参考にした)と思われます。
三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京の歴史のあるデパート他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3822748?&sfl=membername&stx=nnemon2
「春期大売り出し(春のsale)、案内絵葉書書」(2016年)。
「歳末大売り出し(年末のsale)の、ポスター(poster)」(2016年)。
「S女学院(女学校(jyogakko))の、優等生」(2012年)。
弥生(yayoi))・竹久 夢二(takehisa yumeji)美術館の内、弥生(yayoi)美術館の方の収蔵品(collection)の中心は、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品となっています。
写真以下。この時、弥生(yayoi)美術館の、高畠 華宵(takabatake kasyo)の常設展示室に展示されていた、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例(途中、絵葉書の写真、2枚を除く)。
写真以下3枚。この時、弥生(yayoi)美術館の、常設展示室で行われていた、特集展示で、高畠 華宵(takabatake kasyo)の少年(美少年)を描いた作品。1910年代から1930年代頃。
写真以下2枚。絵葉書より。高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例。
1926年。
1920年代頃。
写真以下5枚。1910年代から1930年代頃の作品。
1937年の作品。
1933年の作品。
マツオヒロミ(matsuo hiromi)に関して、以下の投稿を参照して下さい。
弥生美術館 マツオヒロミ展他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3823481?&sfl=membername&stx=nnemon2
弥生美術館 マツオヒロミ展他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3823480?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。
弥生美術館・近代女袴展他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4044151?&sfl=membername&stx=nnemon2