『일본이란 무엇인가 (코단샤 문고)』(사카이야 타이이치)에 관한 브로그로부터
사카이야는, 다른 아시아・아프리카 제국에 앞서 왜 일본만이 맨 먼저에 구미의 근대 문화와 공업 기술을 도입할 수 있었는지와 물어, 그것은 역시, 일본의 전통, 메이지 이전의 문화나 사회 기풍이 깊게 관계하고 있다고 생각한다.그는, 그 가장 깊은 뿌리가 신도에 있으면 파악하고 있는 것 같다.
신도에 있어서의 수 많은 신이란, 번개나 태풍등의 자연현상, 산, 타키, 오오이시등의 자연물이며, 거기에 선조 숭배의 습속이 겹쳐서 완성되고 있다.이러한 자연숭배적인 종교는, 일찌기 온 세상의 어디에도 퍼지고 있었다.그러나, 그러한 자연숭배적인 종교가, 성전도 계율도 없는 채로, 고도로 산업화 된 현대의 사회에까지 살아 나간 것은, 극히 드문 일이다.
(중략)
죠몽 시대의 자연 종교로부터 태어난 신도는, 명확한 규칙이나 원칙, 계율 등 모모 선반 있어.그러니까 한반도로부터 불교가 초래되었을 때, 한때의 저항은 있어도 비교적 온화하게 받아 들여져 갔던 것이다.
불교 도입은, 소가・모노노베의 싸움이라고 하는 종교전쟁을 일으켰지만, 이것이 일본사로 유일한 종교전쟁이었던 것이다.쇼오토쿠 타이시 (은)는, 스이코천황의 섭정으로서 불교와 천황제와의 양립시키는 길을 발견한다.그것은, 천황가의 가계적인 근거인 신도 신화를 부정키늪뭐, 불교도 인정한다고 하는「신불습합」에의 길이었다.
그 결과, 일본에 심각한 종교 대립은 없어졌다.엄격한 종교 논리도 계율도 없어졌다.쇼오토쿠 타이시 덕분에 일본인은, 세계에서 처음「종교로부터의 자유」를 얻었다고도 말할 수 있다.그러한 자유가 있었기 때문 일본인은, 종교적 계율에 사로 잡히지 않고 외래 문화를 받아 들여 모든 문화의 적당한 곳만을 몸에 익혔다.종교라고 한다, 적당함이 가장 용서되지 않아야 할 영역에 있어 조차「」를 한다고 되면, 다른 문화는 상대방의 체계적 정합성 등 무시해 군것질하는 것은 극히 자연스러운 형편일 것이다.그리고 이것이, 다른 비서구 제국에 앞서 일본을 근대화 할 수 있던 한 요인이라고 말해진다.
확실히 그러한 의미로 쇼오토쿠 타이시는 독창적인 사상가였던 것일 것이다.그러나, 그 이전에 죠몽인과 야요이인이 거의 평화적으로 융합비쳤다고 하는 사실이 없으면, 쇼오토쿠 타이시의 독창성도 태어나지 않았기 때문에는 없는가.야마토 정권을 담당한 것은 3월계의 사람들로 있었지만, 그들은 죠몽적인 자연숭배의 색채를 현저하게 남긴 형태로, 신도를 스스로의 지배 이데올로기로 하고 있었다.여기에 벌써 죠몽 문화와의「습합」가 있었다.그러한 배경이 있기 때문에, 대륙으로부터 새롭게 도래한 불교의 수락도「신불습합」라고 하는 형태로 실현된 것은 아닌가.
일본 열도에서는, 대륙으로부터 온 이민족이, 그 압도적인 군사력으로 토착의 사람들을 정복해, 스스로의 종교를 꽉 누른다고 하는 상황은 일어나지 않았다.야요이인은, 스스로의 문화와 죠몽인의 문화를「습합」시켰기 때문에, 새롭게 대륙으로부터도 늘어뜨려진 불교도, 부드럽게「습합」시킬 수 있던 것일 것이다.
그리고 이「원체험」는, 그 후, 대륙의 고도의 문명을 받아 들일 때에도, 압도적인 서구 문명의 수용 시에도 반복해지는 것이다.군사력에 의한 제압과 강제없이, 평화뒤에, 상대방의 문명안의 스스로에 도움이 되는 곳(중)만을, 자유롭게 스스로 문명에「습합」시켜 갈 수 있었던 것이다.
일본론 신불습합
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阿倍比羅夫
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日本論 神仏習合
『日本とは何か (講談社文庫)』(堺屋太一)に関するブログから
堺屋は、他のアジア・アフリカ諸国に先がけ、なぜ日本だけが真っ先に欧米の近代文化と工業技術を取り入れることができたのかと問い、それはやはり、日本の伝統、明治以前の文化や社会気風が深く関係していると考える。彼は、そのもっとも深い根が神道にあると捉えているようだ。
神道における八百万の神とは、雷や台風などの自然現象、山、滝、大石などの自然物であり、それに先祖崇拝の習俗が重なって出来上がっている。このような自然崇拝的な宗教は、かつて世界中のどこにも広がっていた。しかし、そのような自然崇拝的な宗教が、聖典も戒律もないままに、高度に産業化された現代の社会にまで生き続けたことは、きわめて珍しいことだ。
(中略)
縄文時代の自然宗教から生まれた神道は、明確な規則や原則、 戒律などももたない。だからこそ朝鮮半島から仏教がもたらされたとき、一時の抵抗はあっても比較的おだやかに受け入れられていったのである。
仏教導入は、蘇我・物部の戦いという宗教戦争を引き起こしたが、これが日本史で唯一の宗教戦争だったのである。聖徳太子は、推古天皇の摂政として、仏教と天皇制との両立させる道を発見する。それは、天皇家の家系的な根拠である神道神話を否定せぬまま、仏教をも認めるという「神仏習合」への道だった。
その結果、日本に深刻な宗教対立はなくなった。厳格な宗教論理も戒律もなくなった。聖徳太子のおかげで日本人は、世界ではじめて「宗教からの自由」を得たともいえるのだ。そうした自由があったからこそ日本人は、宗教的戒律にとらわれずに外来文化を受け入れ、すべての文化の都合のよいところだけを身につけた。宗教という、いい加減さがもっとも許されないはずの領域においてさえ「いいとこどり」をするとなれば、他の文化は先方の体系的整合性など無視してつまみ食いすることはごく自然な成り行きだろう。そしてこれこそが、他の非西欧諸国に先がけて日本が近代化できた一要因だといわれる。
確かにそのような意味で聖徳太子は独創的な思想家だったのだろう。しかし、それ以前に縄文人と弥生人がほとんど平和的に融合してったという事実がなければ、聖徳太子の独創性も生まれなかったのではないか。大和政権を担ったのは弥生系の人々であったが、彼らは縄文的な自然崇拝の色彩を色濃く残した形で、神道を自分たちの支配イデオロギーとしていた。ここにすでに縄文文化との「習合」があった。そうした背景があるからこそ、大陸から新たに渡来した仏教の受け入れも「神仏習合」という形で実現したのではないか。
日本列島では、大陸からやってきた異民族が、その圧倒的な軍事力で土着の人々を征服し、自分たちの宗教を押し付けるという状況は起こらなかった。弥生人は、自分たちの文化と縄文人の文化とを「習合」させたからこそ、新たに大陸からもたらされた仏教をも、スムーズに「習合」させることができたのであろう。
そしてこの「原体験」は、その後、大陸の高度な文明を受け入れる際にも、圧倒的な西欧文明の受容の際にも繰り返されるのである。軍事力による制圧と強制なしに、平和裏に、先方の文明の中の自分たちに役立つところだけを、自由に自分たちの文明に「習合」させていくことができたのである。
堺屋は、他のアジア・アフリカ諸国に先がけ、なぜ日本だけが真っ先に欧米の近代文化と工業技術を取り入れることができたのかと問い、それはやはり、日本の伝統、明治以前の文化や社会気風が深く関係していると考える。彼は、そのもっとも深い根が神道にあると捉えているようだ。
神道における八百万の神とは、雷や台風などの自然現象、山、滝、大石などの自然物であり、それに先祖崇拝の習俗が重なって出来上がっている。このような自然崇拝的な宗教は、かつて世界中のどこにも広がっていた。しかし、そのような自然崇拝的な宗教が、聖典も戒律もないままに、高度に産業化された現代の社会にまで生き続けたことは、きわめて珍しいことだ。
(中略)
縄文時代の自然宗教から生まれた神道は、明確な規則や原則、 戒律などももたない。だからこそ朝鮮半島から仏教がもたらされたとき、一時の抵抗はあっても比較的おだやかに受け入れられていったのである。
仏教導入は、蘇我・物部の戦いという宗教戦争を引き起こしたが、これが日本史で唯一の宗教戦争だったのである。聖徳太子は、推古天皇の摂政として、仏教と天皇制との両立させる道を発見する。それは、天皇家の家系的な根拠である神道神話を否定せぬまま、仏教をも認めるという「神仏習合」への道だった。
その結果、日本に深刻な宗教対立はなくなった。厳格な宗教論理も戒律もなくなった。聖徳太子のおかげで日本人は、世界ではじめて「宗教からの自由」を得たともいえるのだ。そうした自由があったからこそ日本人は、宗教的戒律にとらわれずに外来文化を受け入れ、すべての文化の都合のよいところだけを身につけた。宗教という、いい加減さがもっとも許されないはずの領域においてさえ「いいとこどり」をするとなれば、他の文化は先方の体系的整合性など無視してつまみ食いすることはごく自然な成り行きだろう。そしてこれこそが、他の非西欧諸国に先がけて日本が近代化できた一要因だといわれる。
確かにそのような意味で聖徳太子は独創的な思想家だったのだろう。しかし、それ以前に縄文人と弥生人がほとんど平和的に融合してったという事実がなければ、聖徳太子の独創性も生まれなかったのではないか。大和政権を担ったのは弥生系の人々であったが、彼らは縄文的な自然崇拝の色彩を色濃く残した形で、神道を自分たちの支配イデオロギーとしていた。ここにすでに縄文文化との「習合」があった。そうした背景があるからこそ、大陸から新たに渡来した仏教の受け入れも「神仏習合」という形で実現したのではないか。
日本列島では、大陸からやってきた異民族が、その圧倒的な軍事力で土着の人々を征服し、自分たちの宗教を押し付けるという状況は起こらなかった。弥生人は、自分たちの文化と縄文人の文化とを「習合」させたからこそ、新たに大陸からもたらされた仏教をも、スムーズに「習合」させることができたのであろう。
そしてこの「原体験」は、その後、大陸の高度な文明を受け入れる際にも、圧倒的な西欧文明の受容の際にも繰り返されるのである。軍事力による制圧と強制なしに、平和裏に、先方の文明の中の自分たちに役立つところだけを、自由に自分たちの文明に「習合」させていくことができたのである。
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