kjのバグ(不具合)により、IEで、投稿の写真が見られない現象が生ずる様です。もし、IEで、この投稿の写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。
2017年5月2日に、kjに行った、「大磯(ooiso)散歩&食べ物」と言う投稿の写真が、kjのバグ(不具合)により、全て、見られなくなってしまった為、再投稿です。
以下の、写真、及び、投稿文は、基本的に、2017年5月2日に行った、「大磯(ooiso)散歩&食べ物」と言う投稿、そのままの物となっています。したがって、投稿文は、全て、2017年5月2日の投稿を前提に書かれています。
以下、大磯(ooiso)散歩3(すぐ上の投稿)からの続きで、2017年5月2日に、kjに行った、「大磯(ooiso)散歩&食べ物」と言う投稿の、再投稿の続きです。
以下、投稿の本文に入ります。
先々週、彼女と、旧(かつての)吉田 茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘を訪れた時(以下、この日と書きます)の物です。
この日は、朝寝坊をし、遅い朝食、兼、昼食を食べてから、のんびりと、東京都心部を出ました。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊の海沿いのリゾート(resort)地(ビーチリゾート(beach
resort))地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近く有る様な気がします。
大磯(ooiso)は、平塚(hiratsuka)の西、二宮(ninomiya)の東に隣接する(ちなみに、二宮(ninomiya)の、さらに西(西南)は、小田原(odawara)です。東京都心部から、海岸線に沿って、距離的に、近い順に、平塚(hiratsuka)→大磯(ooiso)→二宮(ninomiya)→小田原(odawara))、人口3万人程の町で(町としては、比較的人口は多い)、古くからの、海沿いの保養地です。大磯(ooiso)は、第2次世界大戦前は、海沿いの保養地・別荘地としての湘南(syonan)の中心地で有り、東京近郊の海沿いの別荘地として、政財界(政治・経済界)の大物、著名な文化人の別荘も、たくさん有りましたが、現在は、過去の栄光の面影を、少しだけ残す、やや、くたびれた感じの、東京近郊の海沿いの保養地と言った感じです。大磯(ooiso)と、その西側に隣接する二宮(ninomiya)は、イメージとしての湘南(syonan)の中心地が江ノ島(enoshima)辺りに移ってしまった現在においては、何となく、湘南(syonan)の西の先に有る、気候温暖な海沿いの保養地と言ったイメージです。
これは、旧(かつての)吉田 茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘に、道路を挟んで、隣接する、旧(かつての)三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘(かつての、三井(mitsui)家の、別荘の一つ)の跡地を利用した公園の地図です。公園(かつての、三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘)の敷地面積は、約70,000平方m(約21,000坪)あります(なお、旧(かつての)三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘であった頃の建物は、現在は、ほとんど、残っていません)。三井(mitsui)家は、かつて、多くの、邸宅・別荘を保有していた様です。ちなみに、1906年に建てられた、三井(mitsui)家の、東京都心部の、邸宅の敷地面積は、約45,000平方m(約13,500坪)であった様です(第二次世界大戦末期(1945年)、アメリカ軍の、空襲により、焼失)。
三井(mitsui)家は、近代の日本で、最大級の財閥家(財閥の家族)の一つ(近代日本の、三大、財閥家(財閥の家族)、又は、四大、財閥家(財閥の家族)の一つ)です。三井(mitsui)家は、近代、日本において、貴族(男爵)でもありました。三井(mitsui)家は、商人の家(家柄)であった為(元々、侍(samurai)の家柄ではあったが、その後、商人となった)、いくら財産があっても、近代貴族としては、男爵(最も、身分の低い爵位。日本の近代貴族の爵位は、身分が高い順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)止まりでしたが、おそらく、第二次世界大戦以前の、日本において、日本で、最も富裕な家族の一つであったでしょう。
写真は、借り物。三井 高福(mitsui takayoshi)(1808年生まれ。1885年に亡くなる)。商人としての、三井(mitsui)家の、8代目の当主。近代の日本の財閥としての、三井(mitsui)家の、基礎を固めた人物。
以下、おまけで、参考に、近代の日本で、最大級の、財閥家(財閥の家族)の一つ(近代日本の、三大、財閥家(財閥の家族)、又は、四大、財閥家(財閥の家族)の一つ)の、住友(sumitomo)家について、少し紹介します。
住友(sumitomo)家は、近代の日本で、最大級の、財閥家(財閥の家族)の一つで(近代日本の、三大、財閥家(財閥の家族)、又は、四大、財閥家(財閥の家族)の一つ)、大阪(東京に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する都市。日本の商業の中心都市)の、財閥の家族です。住友(sumitomo)財閥(住友(sumitomo)家)の歴史は、400年以上前(16世紀後期)に遡り(元々、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都で有った大都市で、日本の、伝統文化の中心都市となっている)に拠点を置いていたが、1630年に、当時、日本の商業の中心地として、発展を続けていた、大阪に拠点を移す)、Rothschild財閥(Rothschild家)を超える、世界最古の(世界で、最も、古い)、財閥(財閥家(財閥の家族))であるとも言われている様です。住友(sumitomo)家は、近代、日本において、貴族(男爵)でもありました。住友(sumitomo)家は、商人の家(家柄)であった為(元々、侍(samurai)の家柄ではあったが、その後、商人となった)、いくら財産があっても、近代貴族としては、男爵(最も、身分の低い爵位。日本の近代貴族の爵位は、身分が高い順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)止まりでしたが、おそらく、第二次世界大戦以前の、日本において、日本で、最も富裕な家族の一つであったでしょう。ちなみに、住友(sumitomo)家も、かつて、多くの、邸宅・別荘を保有していた様です。

参考に。。。写真は、借り物。住友 友純(sumitomo tomoito)(1865年生まれ。1926年に亡くなる)。住友(sumitomo)家(住友(sumitomo)財閥)の、15代目の当主。貴族(男爵)。当時、日本最大級の、金持ちの一人であった。日本の伝統文化に関する、趣味人・風流人としても知られた。
第二次世界大戦前の日本は、当時のヨーロッパと同様、階級社会により、大きな貧富の格差が存在しており、第二次世界大戦前の、日本の、農村の小作人(低所得者層(lower class)の農民)や、都市の低賃金肉体労働者(都市における、低所得者層(lower class))等の、低所得者層(lower class)の生活は、実に悲惨なものでした。
当時の、日本は、現在の、日本よりも、貧富の格差が激しい、階級社会であり、庶民(working class)・低所得者層(lower class)は、物質的には、現在とは、比較にならない位、貧しく暮らしていました。
第二次世界大戦後は、貧富の格差を縮小させる為の、様々な法政策により(その内の一つに、高い相続税率がある)、日本の上流階級・富裕層は、没落して行きました(以前の様に、贅沢な暮らしが出来なくなりました)。第二次世界大戦前の日本は、もちろん、現在の日本よりも貧しく、日本の庶民(working
class)・低所得者層(lower
class)の人々は、物質的には、現在とは、比較にならない位、貧しく暮らしていましたが、日本の少女向けの漫画に出てくる金持ちの様なw生活をする日本の金持ちは、現在よりも、むしろ、日本が、世界の資本主義工業国又は資本主義的な工業国の中で、最も農業国的で貧しく後進的なグループ(group)に属していた、第二次世界大戦前に、多く存在していました。
以下2つ。参考の投稿。
東京都庭園美術館→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2398600/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
強羅(goura)環翠楼(kansuirou)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2398598/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
日本は、現在、お金持ちの、お金は、さらに増え、新しい(新興の)富裕層が増える、一方で、生活が苦しい、貧困層の人々が、増加していると言う問題があるものの、依然として、日本の国民の、大部分(富裕層・中流層(middle
class)・大衆層・庶民層((一般的な生活が苦しい、貧困層以外の)相対的な貧困層を含む。相対的な貧困層に含まれていても、(福祉・生活保護等も、含めて)、多くの人々は、一般的な生活が苦しいと言う程ではないと思います))は、世界的に見れば、かなり裕福な生活をしていると思います(もちろん、貧困の問題に関しては、経済政策・福祉政策等で、解決しなければならない問題であると思います)。
旧(かつての)三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘(かつての、三井(mitsui)家の、別荘の一つ)の跡地を利用した公園と、旧(かつての)吉田
茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の地図。道路を挟んで、左側が、旧(かつての)三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘(かつての、三井(mitsui)家の、別荘の一つ)の跡地を利用した公園(敷地面積は、約70,000平方m(約21,000坪))、右側が、旧(かつての)吉田
茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘(敷地面積は、約29,000平方m(約8,800坪)となっています。現在は、旧(かつての)三井(mitsui)家の、大磯(ooiso)の別荘(かつての、三井(mitsui)家の、別荘の一つ)の跡地を利用した公園は、大磯(ooiso)町が属する、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)が、所有・管理をし、旧(かつての)吉田
茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘は、神奈川(kanagawa)県と、大磯(ooiso)町が、所有・管理をしている様です。
以下、旧(かつての)吉田 茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘について紹介します。
旧(かつての)吉田 茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘は、かつての、吉田 茂(yoshida shigeru)の別荘の一つで、元々、1887年頃に、吉田 茂(yoshida shigeru)の、義理の父親、吉田 健三(yoshida kenzo)(横浜(神奈川(kanagawa)県の中心都市)の、大金持ち(非常な、金持ち))が、別荘の一つとして建てた物です。
吉田 茂(yoshida shigeru)は、義理の父親から譲り受けた、大磯(ooiso)の別荘を、長い間、自分の別荘の一つとして、使用して来ましたが、第二次世界大戦中の1940年代前半頃から(間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、疎開(sokai)(下の補足説明参照)が、きっかけであったと思います)、自分が暮らし易い様に、改装し始め(建物も、建て替えて)、吉田 茂(yoshida shigeru)は、1954年に、日本の総理大臣(prime minister)を辞めてから、1967年に亡くなるまでの、ほとんどを、大磯(ooiso)の別荘で過ごしていました(暮らしていました)。
疎開(sokai):戦争中、空襲の被害から逃れる為、空襲の被害を受け易い、大都市や中都市(中規模程度の人口の都市)の中心部を離れ、郊外や田舎に、一時的に滞在、若しくは、一時的に移り住む事で、第2次世界大戦中、空襲の被害が大きかった、日本とヨーロッパでは、盛んに、行われました。比較的裕福な層は、郊外や田舎に、家を購入して移り住んだり、(元々保有していた)郊外や田舎の別荘に滞在する事が可能でしたが、庶民は、(田舎から大都市に出て来ている場合等は)実家を頼るか、若しくは、親戚を頼るか、学校疎開(学校毎の疎開)に、子供を送るしかありませんでした。
1966年(吉田
茂(yoshida shigeru)の最晩年)、吉田 茂(yoshida shigeru)が暮らしていた頃の、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物の写真。吉田 茂(yoshida
shigeru)は、義理の父親から譲り受けた、大磯(ooiso)の別荘を、長い間、自分の別荘の一つとして、使用して来ましたが、間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、疎開(sokai)を、きっかけに、1940年代前半頃から、自分が暮らし易い様に、改装し始め(建物も、建て替えて)、吉田
茂(yoshida shigeru)は、1954年に、日本の総理大臣(prime
minister)を辞めてから、1967年に亡くなるまでの、ほとんどを、大磯(ooiso)の別荘で過ごしていました(暮らしていました)。吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の整備は、吉田 茂(yoshida shigeru)の好みに合わせて、吉田
茂(yoshida shigeru)の、最晩年期(1960年代)まで、続けられた様です。吉田 茂(yoshida
shigeru)は、1967年の8月に、心筋梗塞を発症し、以後、自宅(大磯(ooiso)の別荘)で、療養生活を送っていましたが、亡くなる前日の、1967年の10月19日に、病床で(bedで)、「富士山を見たい」と呟き、娘(三女)の、和子(kazuko)に、椅子に座らせて貰い、一日中、飽きずに、富士山を眺めていたが、これが、記録に残る、吉田
茂(yoshida
shigeru)の、最後の言葉であった様です(ちなみに、富士山(標高3,776m)は、東京圏に近い場所にある山です。富士山は、日本で、最も高い山です。富士山は、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です)。吉田
茂(yoshida
shigeru)は、翌日の、1967年、10月20日の、正午頃、自宅(大磯(ooiso)の別荘)で、89歳で亡くなりました。突然、亡くなった為、その場には、医者1人と、看護婦2人の、3人しか居合わせず、身内(家族・親族)は、一人もいなかった様です。臨終の言葉(亡くなる間際の言葉)もなかったが、「機嫌の良い時の、目を、そのまま閉じたような顔」で、穏やかに亡くなったと言います。
かつての、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘は、吉田 茂(yoshida
shigeru)が亡くなった後、1969年にprinceホテルに売却され、以降、長い間、大磯(ooiso)princeホテルの、別館として使用されていました。大磯(ooiso)princeホテルの、別館として使用されていた時は、一般の宿泊客を、宿泊させる建物ではなく、歴史的な建物の保存目的で、保有されると共に、大磯(ooiso)princeホテルの、迎賓館(要人(VIP)を接待したり、要人(VIP)を宿泊させる場所)として、使われていた様です。
2005年に、princeホテルは、かつての、吉田
茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の、公的な機関による買い取りを要望し、調度、その頃、大磯(ooiso)の地元の住民を中心に、かつての、吉田
茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の、保存・活用の機運が高まっていた事から、神奈川(kanagawa)県と大磯(ooiso)町により、日本の、近代政治史の歴史文化遺産として保存・活用が検討され、神奈川(kanagawa)県が購入し、神奈川(kanagawa)県と大磯(ooiso)町により、保存・整備される事になりました。
しかし、その後、かつての、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の、一般公開の為の、計画が策定され、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の、一般公開の為の、整備を進めている最中の、2009年に、原因不明の火事により、かつての、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物は、焼失してしまいました。当時、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物を含め、何軒かの、神奈川(kanagawa)県の、歴史的な建物が、原因不明の火事により、焼失しており、同一の犯人による、放火の可能性も考えれている様です(ただし、漏電の可能性もある様です)。もし、放火によるならば、私は、古い建物が好きなので、歴史的に価値がある建物が、その様な形で、失われてしまうのは、非常に残念な事であると思います。
かつての、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物が、原因不明の火災により、焼失した後、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物は、吉田 茂(yoshida
shigeru)が暮らしていた頃の姿を、可能な限り、忠実に再現をして、再建される事が決まり、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の全体は、神奈川(kanagawa)県が整備・管理を行い、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物は、大磯(ooiso)町が、再建を行い、管理をする事となりました。
最近(今年の(2017年)、3月に)、一般公開に向けた、かつての、吉田
茂(yoshida shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の敷地の整備、及び、かつての、吉田 茂(yoshida
shigeru)の、大磯(ooiso)の別荘の建物の、再建が、全て、完了し、今年の(2017年)、4月1日から、一般公開が始まりました。
大磯(ooiso)princeホテルについては、この投稿を、参照して下さい→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/2396125/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
大磯(ooiso)散歩4(すぐ下の投稿)へ続く。。。