この間1年ぶりに奈良を訪れました。
いつもいつもいつもいつも行きたくて、行くのだけれどもナンダカンダで閉門になっていた「中宮寺」
穴穂部間人皇女のために作られた尼寺です。
代々皇室の女性が守ってきました。
写真は借り物ですが、このお堂は高松宮妃喜久子様の発願だとか。
良子皇太后の歌碑などもあり、ここは女性のための場所だな、と改めて感じます。
元々の場所はもっと東にあったそうです。今回は体調が悪い中での旅行だったため、
疲れきって(また)行けなかった「中宮寺跡地」
いろんなサイトで確認すると、更地になっていて案内板のみあるそうです。
はてなぜ移動したんでしたっけ?
穴穂部間人皇女 が12月に死に、その供養のために聖徳太子の発願で建てられたお寺。
本人も2月に薨去ですから、主がいない建物・・・いやいやいや。
橘大郎女はどうしましたか?中宮に住んでいたはずです。白髪部王や手嶋女王とともにそこにいたはずです。
彼らはいったいどこへ。
穴穂部間人皇女は亡くなるまでその宮で過ごしていましたが、娘の佐富女王は下宮になる飽波葦垣宮を相続した
泊瀬王へ嫁いでいます。 母宮も亡くなり、身寄りのなくなった彼女を同じく両親を一気に亡くした泊瀬王が引き取った。
そんな構図が目に浮かびます。