こんな夜遅く、恥ずかしいのですが、どうしても書きたくなったので、upします。
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昨夜、私は、今年の米国アカデミー賞を受賞した映画「つみきのいえ」と「おくりびと」の2本立てを、一人で観た。
最近私は、涙もろくなっているが、特にこの2つの作品を続けて観たせいか、泣けてしかたなかった。
映画館内の客はまばらで、周囲に気兼ねするようなことはなかった。私は、片方の手で何度も眼鏡を外しては、もう一方の手でハンカチを充てなくてはならなかった。
「つみきのいえ」は、一人の老人が、過去を回想する映画である。
出会い、結婚、出産、教育、独立、死別と、これまで積み木のように積み上げられた、彼の人生のひとコマ、ひとコマがなつかしく、やさしく回想されていく。
そして、最後に、家族との思い出が詰まった写真に囲まれて、老人は、亡き妻との思い出のグラスに、赤ワインを注ぎ、ひとり乾杯して終わる。私には、その孤独な老人は幸せそうに見えた。
たったそれだけの話だが、私には何か大きなもの、即ち、人生で楽しい思い出を多く持つことがどれほど幸福か、ということを、教えてくれたような気がした。
「おくりびと」は、死んだ人の体を棺に納める「納棺師」の物語である。
私は最初、この映画を陰気なものと早合点して、観ようとは思わなかった。しかし、既に観た父が私に、ポツリと、“いい映画だった。そして、俺もあんなふうにして、送り出されるのだろうな・・・”と言うので、妙にズシンと心に響いた。それで考えを変えた。
納棺師は、遺体をきれいに拭き、着ていた衣服を肌を晒すことなく着替えさせ、お化粧を施して棺に納める。その所作は、丁寧で美しく、大変愛情に溢れたものである。そのためか、遺体は神々しいまでの美しさを放っている。化粧を施された顔は、まだ死んでおらず、単に眠っているかのようだ。
遺された家族は、たまらず棺に寄って、泣きながらその人の名を呼ぶ。まるで、死者の世界から、生者の世界に呼び戻すかのように。しかし、棺は火葬場に送られ、遺体は灰となって、静かにあの世に送り出されていく。
映画では、主人公(本木雅弘)が、自分を捨てた実父の亡骸を棺に納めるシーンがある。私は、その所作が納棺師によるものか、実の息子によるものなのか、見分けが付かなくなってしまった。その瞬間、私の目は涙で滲んだ。
閉映後、外に出ると雨脚が強くなっていた。私は、帰る電車の明るい照明に、自分の泣いた跡を晒したくはなかった。思い切ってタクシーに乗り込み、暗いバックシートに腰を沈めた。
帰宅すると、妻も子供も寝室でぐっすり寝入っており、居間の方はダウンライトの暖かい光で満たされていた。私はほっとしたが、目は赤いままだった。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」