sumaniが清少納言の枕草子を読んだ事が有るのに少し驚いた。
俺も高校生の時、読んだような記憶が残っている。
あの本で一番印象的に残っていたのは、彼女が「蓑虫」について書いた文章だ。
「蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれもおそろしき心あらんとて、親のあやしききぬひき着せて「いま秋風吹かむをり来むとする。待てよ」といひおきて、にげていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあわれなり」
現代語訳
蓑虫は、とても哀れだ。
鬼の子だというので、親に似てこれも恐ろしい心を持っているんだろうと、親の汚い衣服(蓑傘)をひっかぶせて、「今に、秋風が吹いてくる頃には迎えに来るから、待っていろ。」と言って逃げて行ったのも知らず、風の音を聞き分けて、八月頃(現在の九月頃)になると、「ちちよ、ちちよ」と儚げに鳴くのが、とても哀れなのだ。
平安時代、鬼とは蓑傘を着ているものと想像されている。
↑こんな感じ。
だから、蓑虫は鬼の子という説話が出来たと思われる。
原文の「親」と言うのが、父親と考えるのか、母親と考えるのか、説の分かれるところらしい。
俺はあえて、この鬼の親を「母親」と考えている。
逃げた人間の親は父親。きっと鬼の母親とまぐわって出来た子なのだろう。
父親が、鬼の母親の怪しげな蓑を子供に着せて
「いますぐ、秋風が吹く折には帰ってくるから、待っていよ。」と言い置いて逃げる。
この逃げてしまった父親は二度と戻ってくる事は無いだろう。
それなのにも関わらず、蓑虫は風の音を聞きつけ、旧暦の八月頃(秋夕ぐらい)になると
蓑虫は「父よ!父よ!」と儚げに鳴くのだ、と言う。
なんと哀れな子供なのだろう。

清少納言って、プライドは高いし、頑固だし、男を馬鹿にしているところがあるし、
宮で働いたりせず、家庭に入る主婦の幸せを、似非幸いと揶揄したりするし、
俺は人間的にはあんまり好きではない女性だが、文学的センスと潔さは大好きだ。
彼女はいろんな説話が残っているが、また暇な時、枕草子を読み直してみるもの悪くない。
こんな枕草子なら、俺もよく読んだのかもしれないww