■朝鮮の精気切ろうとしていた日帝の鉄杭
もう一つの真実
「日本人ども(イルボンノム)」は本当に鉄杭を打ち込んだのだろうか? 永らく筆者は全国の「鉄杭」現場を現地調査した。「李如松(訳注:文禄の役の際の明軍の将軍)が脈を切った」という話と「日本人どもの鉄杭」という話が多かった。
<中略(李如松説について)>
では「日本人どもの鉄杭」説はどうだろう。あちこちでそうした伝説が伝えられている。部分的に可能性がある所もあるが、鉄杭の位置や形がかなり違っているう。日帝が全国レベルで組織的に犯した見るのは難しい。以下2つの理由からだ。
まず第一に、19世紀後半に朝鮮侵略のため周辺列強が一番最初にしたのが測量だ。1875年の雲揚号事件も日本の朝鮮沿岸測量から始まった。1895年には日本は200人以上の測量士を送って全国を測量する。
これに対する反発から多くの朝鮮人が犠牲になった。1912年に日帝が三角測量実施の際に示達した注意事項の中には、「三角点の標石の下に邪鬼を埋めたので災厄が迫ってくる、というデマにだまされないこと」という内容が目につく。
その後、測量事業は植民地建設(道路・鉄道・新都市など)で一層頻繁になったが、国を奪われた人々は「邪鬼を埋めた」と誤認した。特に先祖の墓の裏山に三角点が打ち込まれた場合、「鉄杭」と感じて怒りを呼び起こすのに充分だった。
第二に、韓中日の3国とも山岳崇拝思想が強く、名山大河を疎かにしなかった。位階を授与して儀式を行った。八百万以上の神を想定する日本も同じだ。「神の坐す」「神が降り立つ」「魂が蘇る」場所こそ山だ。明が高麗を属国にした際にその山河で儀式をしたように、既に日本の土地となった朝鮮の山河を疎かにしなかった。霊山として知らされた場所には彼らの神社を作って神聖視した。
結局、鉄杭の話は国を奪われた者の「主人意識欠如と被害意識」の産物だ。
<後略> -- 金ドゥギュ/又石大学教養学部教授
▽ソース:朝鮮日報(韓国語)(2013.09.28 03:03)
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2013/09/27/2013092702422.html
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^^ 非科学的な半島には、先進文明などというものは存在しなくてw
朝鮮通信使が、日本に文化・文明を伝えたという記述も虚偽w
1800年代初期の日本では、既に定点調査による測量を実行して正確な地図を作製していたのだが、それが何か?

伊能忠敬(いのうただたか)による日本地図(写し)。写真は東日本と西日本。1827年(文政10)ころ
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B8%AC%E9%87%8F/%EF%BC%BB%E7%94%BB%E5%83%8F%EF%BC%BD/81306024005591/ try { var fAction=false; var fAllow=true; var sCLSName=null; var isIE=(document.documentElement.getAttribute("style")==document.documentElement.style); var sCLSXNm="class"; if(isIE) { sCLSXNm="className"; } var aryElsKr=document.getElementsByTagName("font"); for(var vdx=0;vdx