広隆寺は新羅人が立てた
新羅人 秦氏が作った広隆寺 新羅は 秦国人が立てた国です
日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。新羅の王子アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという平野邦雄の指摘もある。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ

仏像の三角帽子模様は新羅しか発見されない 新羅祈願仏像
新羅仏像
広隆寺の国宝1号仏像は新羅仏像
木造弥勒菩薩半跏像
広隆寺に2体ある弥勒菩薩半跏像のうち、「宝冠弥勒」と通称される像で、霊宝殿の中央に安置されている。

新羅仏像 広隆寺仏像
