記事入力 : 2018/10/21 05:07
【コラム】北朝鮮を愛するあまり「あばたもえくぼ」になった人々
トランプ米大統領は「金正恩(キム・ジョンウン=朝鮮労働党委員長)と恋に落ちた」と言った。
金正恩委員長が手紙で、トランプ大統領に賛辞を送り続けていることから、「我々は愛し合っている仲だ」と言ったのだ。
ところが、米国のテレビ番組で「住民を抑圧し、飢えさせ、異母兄を暗殺する人物があなたの愛する人なのか」と問われると、トランプ大統領は「私も知っている。私は子どもではない」と答えた。
「私は金正恩委員長を本当に信じている。しかし、私が間違っている可能性もある」とも述べた。
トランプ大統領は、金正恩委員長がどんな人物なのかは知っているが、今は同委員長が必要であり、彼から何か自慢できるようなことを得られるとしたら、愛の告白もできないことはない、という考えなのだろう。つまり、自分は取引の最中なのであって、愛におぼれて「あばたもえくぼ」に見えているわけではないということだ。
交渉をしているのか、それとも「あばたもえくぼ」なのかを区別するのはそう難しくはない。2015年に北朝鮮が地雷で挑発行動を取った時、韓国軍が北朝鮮地域内で155ミリ自走砲29発を同時射撃すると、北朝鮮の方から交渉を提案してきた。
北朝鮮側の交渉担当者としてきた黄炳瑞(ファン・ビョンソ)氏は韓国側代表だった金寛鎮(キム・グァンジン)大統領府安保室長=当時=にトイレまでついてきて、焦りを見せた。その交渉で、北朝鮮は6・25戦争(朝鮮戦争)休戦後、初めて自分たちの挑発行動を事実上認め、遺憾の意を表明した。これが交渉だ。
06年に北朝鮮が初の核実験を実施し、民族の未来に暗雲が垂れ込めた時、開城工業団地で南北共同行事が行われた。国の安全保障にとって深刻な脅威が始まったまさにその重大な時期に、民主党=当時=の代表団が北朝鮮側と昼食会をして、その際中に立ち上がり、踊り出したのだ。
これは愛に目がくらんだ「あばたもえくぼ」だ。交渉なのか、「あばたもえくぼ」なのかは、低姿勢でへつらっているかどうかを見れば分かる。交渉なら相手にへつらう理由はない。
しかし、北朝鮮と恋に落ちた政権の官僚たちは、北朝鮮の前で低姿勢になる。統一部(省に相当)長官の言動がそれを示している。
愛に目がくらめば、いとしい人に対して特別基準を適用する。ほかの人がしたら駄目なことでも、恋人がすれば「やむを得ない」「特殊な事情」「一理ある」と言う。
「あばたもえくぼ」に見えているのだ。金大中(キム・デジュン)元大統領が「北朝鮮は核開発をしないだろう」と言ったことや、後に北朝鮮が核開発をすると盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が「北朝鮮の核開発には一理ある」と言ったことがその例だ。
韓国で誰かが世襲王朝を築こうとすれば命がけで闘う人々が、北朝鮮の金一族による王朝に対しては「家族主義的な国」だという。韓国内の人権にはパラノイア(偏執病)のようになる人々が、北朝鮮の人権抹殺に対しては「特殊な事情」だという。
「あばたもえくぼ」になると、醜いものも美しく見える。北朝鮮は失敗した国の代表例だ。
首都・平壌を離れると、まともな道路も鉄道もない。食糧問題すら依然として解決できずにいる。
ところが、展示場のように飾られている平壌だけを見て「驚いた」と感心する。そう話す人々も北朝鮮の現実を知らないわけではない。頭では分かっているが、恋に落ちているから良い所しか見えないのだ。
「北朝鮮の情報技術(IT)レベルは韓国より高い」と言った元長官もいた。精神的な病(やまい)なのではなく、愛の為せる技だ。
こうした人々の「北朝鮮愛」の歴史は長い。李承晩(イ・スンマン)元大統領や朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領と闘ううちに、両元大統領の敵が心の中、理念の中で同志になったのがきっかけではないだろうか。
こうした人々はほぼ例外なく、ジャーナリスト・社会運動家だった故・李泳禧(リ・ヨンヒ)氏の弟子たちだ。李泳禧氏は中国の文化革命を美化した人物だが、北朝鮮を愛する人物の元祖の1人でもある。名字の読み方も韓国式の「イ」ではなく、北朝鮮式の「リ」にこだわった。
同氏は北朝鮮の核危機が始まった1992年、「北朝鮮が核を放棄すると言っても、米国の対北朝鮮政策は修正されない。ひとたび国際査察が行われれば、それ(核)を再開するのは事実上、不可能だ。牙のないトラの子になるも同然だ」と北朝鮮に忠告した。北朝鮮に対して「絶対に核を放棄せず、国際査察も受け入れるな」と言ったのだ。
李泳禧氏は韓国が起こした「奇跡」を徹底的に無視しながらも、北朝鮮については「新たな国の革命と熱気があふれる社会」「北朝鮮の住民がトウモロコシがゆばかり食べて栄養失調になっているようなことを言うのは、南側の権力が植え付けた固定観念」と発言した。
その発言があった時は既に北朝鮮の住民数十万人が餓死している時だった。李泳禧氏が韓国や米国をのろい、北朝鮮を愛し、中国共産党を美化する言葉は、1970年代の学生運動で聖書のように扱われた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領自身が語ったとおり、ほとんどがこの思想の洗礼を受けた。
この洗礼は1980年代に主体(チュチェ)思想派が登場する土台となった。
2007年に李泳禧氏に会った北朝鮮内閣参事が「李泳禧先生が民族的な善意から書いた文章を印象深く受け止めている」と感謝の意を表した。すると同氏は「(私が)20-30年かけて育ててきた後輩や弟子たちが南側(韓国)社会を握り、揺るがしている」と言った。今、我々が見ている現実は李泳禧氏が言った通りの社会だ。
楊相勲(ヤン・サンフン)主筆