中央日報
ここで私は日本に対してではなく、私たちの間で、私たち韓国人の間で交わす話をしようと思う。 過去の日本の侵略と植民地支配は忘れることもできず、今後、永遠に忘れてもならない。 私たちが植民地に転落した最も大きな責任は侵略者の帝国主義日本にある。 これが大前提だ。 しかしその次の問題、私たち内部の責任については、相対的に軽視されてこなかったか考えなければならない。 一体どれほど弱かったため、他国に国を丸ごとのみ込まれることになったのか。 人なら誰が、システムならどんな誤った制度が、それほど弱り果てた国をつくったのか。 こうした100年前の韓国を深刻に省みなければならないのではないのか。 専門家はもちろん、一般市民レベルでも厳しい自問自答と自責、原因究明の努力があってこそ、二度と恥辱の歴史を繰り返さない力が生じると信じている。
その間、私たちの社会は、亡国当時の指導層や乙巳五賊など少数の親日派の責任を問い、残りの責任はすべて帝国主義日本に負わせればいいという雰囲気が強かった。 朝鮮後期の政界を掌握した老論一派の責任が大きいという主張もあった。 果たして日本や李完用(イ・ワンヨン)に石を投げることで原因究明が終わるのか。 どの国であれ、滅びる前には必ず内部に亡国の要因があるものだ。 朝鮮から大韓帝国にいたる長い時間、どんな要因が弱国を作ったのだろうか。 なぜ日本・清・ロシアが競争的に狙うようになったのか。 日本の侵略史に関する研究に劣らず、韓国内部の‘病床日誌’も精密に掘り下げる必要がある。 小さな例として、菅首相の談話に言及された文化財(図書)返還問題を見てみよう。 皇城新聞1909年7月7日付を見ると、「太皇帝陛下が伊藤公爵に下賜する物品として古来の書画と書籍を多数購入した」という記事が出てくる。 高宗(コジョン)が侵略者の伊藤博文に贈ろうと、昔の絵や書、本、すなわち貴重な伝統文化財を買い集めたということだ。 こういうことがあったから、今後、日本国内の韓国文化財を無条件にすべて返還しろと要求するのも難しくなるのだ。
殴られた者は殴った者に抗議して責任を問う一方、なぜ殴られたかを徹底的に分析しなければならない。 そうでなければまた被害者になるおそれがある。 私たちは丙子胡乱の時に生きて帰ってきた「還郷女」を冷遇し、二重被害者にした苦い歴史を反省できず、また「従軍慰安婦」被害者を出した暗い記憶がある。 光復(解放)の喜びに先立ち、植民地支配にいたるようになった‘不便な真実’をまず再確認しよう。
こういう韓国人が増えると手強くなりそうで嫌だなぁ...。
追加:場合によっては敬意を払うことになってしまうかもしれない。w