韓国サッカー「くぎ反則事件」
EBS「知識屋根裏部屋」が15日、韓国サッカー歴史の隠された裏話を公開した。韓国サッカーは1921年初めて開かれた「全朝鮮サッカー大会」を始まりに砲門を開いた。
この日、放送では1969年アジア青少年選手権大会で「くぎ反則事件」という不思議なハプニングが起きた事実を伝えて興味をそそった。事件は当時、韓国が準準決勝でイランと会ってから始まった。力強い優勝候補だった韓国チームは、自信感にあふれていたが、相手の選手たちを見ると一気に気がくじけた。
体格が大きかったし鼻ひげまで蓄えたイラン選手たちの外貌は脅迫的だった。代表チームは必ず勝たなくてはいけないと言う考えで、緊急会議を開いた結果、「あきれたくぎ反則」を計画することになった。
競技が始まり、韓国チーム選手が秘蔵の武器を取り出した。選手たちはくぎを懐に密かに隠したままイラン選手たちの尻を‘キリキリ’と突き始めた。
結局、イラン選手たちの抗議で韓国選手たちは審判の捜索を受けることになった。しかし、すでに作戦は終わっており、くぎは皆捨てた後だった。
韓国はくぎ作戦によって準決勝に進出した。
韓・日戦は戦争だった。必ず勝たなければならない競技だったため、時には過度な情熱が噴出され、数多くの逸話を作り出した。
釜本邦茂は、68メキシコオリンピックで得点王になり、銅メダルに導いた日本サッカーの英雄だ。しかし、キム・ホの前では水に落ちたハツカネズミであった。釜本はキム・ホが持ちこたえる韓国を相手に、ただひとつのゴールも入れることができなかった。
釜本は、「キム・ホ! キム・ホ! キム・ホ! その名前をどうして忘れられるか。私をとても困らせた。彼は友人ではなかった(笑い)」と回顧したことがある。
キム・ホは、日本のサイドウインガーの杉山を捉えるために、一晩中、肉が擦り剥けるまでタックルの練習をした。
1970年代、ゴールキーパーとして活躍したイ・セヨンは、空中のボールを争うときは、ボールではなく日本の攻撃手の顔を拳で飛ばすこともした。
ミッドフィルダーとしてプレイしたイ・チャマンは、競技場にクギを持って入り、体当たりする日本選手たちをクギの先で素早く刺す反則を使った。主審に見つかりそうになればすばやくクギを捨て、完全犯罪に終わったという後聞だ。
ミッドフィルダーとして走ったイ・ヨンジン(現テグ監督)は、自分がマークする日本選手の顔に唾を吐くこともした。「前半が終るまでに無条件で日本選手の顔に唾を吐け」という先輩らの強圧のためだった。
1998フランスワールドカップ アジア最終予選、当時の日本のストライカー三浦知良にディフェンダーのチェ・ヨンイルが唾を吐く場面がテレビ画面に捕えられることもあった。

フェアプレーで勝てないと解ったら、どんな手段でも使ってくる。
韓国人の本質的なメンタリティがコレ。