日本には、伝統的に、夏の時期に、怪談(kaidan)(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話)の話をする(怖い話をして楽しむ)文化・習慣があります。
日本では、伝統的に、お盆(obon)と言われる、夏の日・時期(主に、8月15日を中心とする)に、死者の魂(霊魂)が、この世(人間界)に、帰って来るとされ、先祖の、墓参り等をする文化があります。
また、日本では、お盆(obon)には、恨みを抱いて亡くなった人や、祀る者のいない死者の魂(霊魂)も、幽霊(ghost)となって、現れるとされています。
その事から、日本では、伝統的に、夏の時期に、歌舞伎(kabuki)(日本の、伝統、大衆演劇の一つ)等の、伝統的な演劇で、怪談(kaidan)の芝居が演じられ、その事が、夏の時期に、怪談(kaidan)の話をする(怖い話をして楽しむ)、日本の、伝統的な、文化・習慣に繋がりました。
百物語(100物語)は、日本の伝統的な、怪談(kaidan)会(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話をする集まり)の形式の一つです。怪談(kaidan)(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話)を、100話、語り終えると、本物の幽霊・怪物(monster)が、現れるとされます。
百物語(100物語)は、16世紀以前(14世紀から16世紀中期頃)に始まり、元々、侍(samurai)の肝試しの為に(勇気を試す為に)始まった物ですが、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、庶民の間にも広まり、遊戯・娯楽として、ブーム(流行)となりました。
怪談(kaidan)文学と言われる、怪談(kaidan)(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話)を集めた本も、多く刊行されており、代表的な物は、「諸国百物語(諸国100物語」(1677年)、「御伽百物語(御伽(otogi)100物語)」(1706年)、「太平百物語(太平(taihei)100物語)」(1732年)等があります(wikiを参考にしました)。
以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
置行堀(oitekebori)(下の補足説明を参照)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の頃から、伝承される、東京の不思議な話の一つです。
置行堀(oitekebori):江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の東京、ある日、仲の良い、町人(江戸(edo)(東京)の市民・庶民)達が水路で釣り糸を垂れたところ、非常に、よく、魚が釣れた。夕暮れになり気を良くして帰ろうとすると、水路の中から「置いていけ」という恐ろしい声がしたので、恐怖に駆られて逃げ帰った。家に着いて恐る恐る魚籠(釣った魚を入れる籠)を覗くと、あれほど釣れた魚が一匹も入っていなかった。

写真は、借り物。三代目 歌川国輝(utagawa kuniteru)(19世紀後期に活躍した、日本の、浮世絵(ukiyoe)画家)の、置行堀(oitekebori)を描いた作品(1886年)。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
後述する、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)の、百物語(100物語)で語られる話の一つの一部に、上で紹介した、置行堀(oitekebori)が取り入れられています(ただし、登場人物は、町人(江戸(edo)(東京)の市民・庶民)ではなく、浪人(ronin)の侍(samurai)の男性2人となっています)。
妖怪(yokai)は、日本で、昔から言い伝えられている、モンスター(monster)の総称です。
「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)は、百物語(100物語)と、妖怪(yokai)を題材とした、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京を、舞台(舞台設定)とした、SF(science
fiction)映画です。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)を拠点として、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家です。ちなみに、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の終わりと共に、日本全国の地方領主達の長(leader)の地位と、江戸(edo)城(castle)等を失いましたが、貴族階級に組み入れられ(公爵となり)、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の中心的な城(castle)は、江戸(edo)城(castle)(東京都心部でも中心的な地域に位置する)でした。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家、及び、江戸(edo)城(castle)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
江戸城跡・旧徳川邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3901679/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
浪人(ronin)は、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京を拠点として、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家)による、日本の中央政府にも、地方領主にも、所属していない(雇われていない)、侍(samurai)です。浪人(ronin)は、侍(samurai)としての地位はあるものの、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による、日本の中央政府にも、地方領主にも、所属していない(雇われていない)為(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による、日本の中央政府、又は、地方領主に、所属していれば(雇われていれば)、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による、日本の中央政府、又は、地方領主から、侍(samurai)としての、お金(給料)が貰える)、侍(samurai)としての収入はなく(侍(samurai)としては、無職であり)、生活をして行く為には(生きて行く為には)、自分で、お金を、稼ぐ方法を見つけて、お金を稼ぐしかありませんでした。ちなみに、全ての、浪人(ronin)が、貧しかったと言う訳ではありません。
「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京を舞台(舞台設定)とした映画です。
現在、you tubeで、期間限定で(5月15日の20時から5月29日の19時59分まで)、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)が、公式で、公開中です。
現在、you tubeで、期間限定で(5月15日の20時から5月29日の19時59分まで)、公式で、公開中の、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/C9mC3TEodoQ?si=_hJs9ww5KtTOObkC
「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)、今週の日曜日に、彼女と、我が家のテレビで、見てみましたが、甘めに評価して、まあ、普通と言った感じの映画でした。1時間20分弱(1時間18分)程の短い映画ですが、語(ストーリー)の展開が、のんびりとしていて、現代の、目まぐるしい(速い)語(ストーリー)の展開の映画等の映像作品に見慣れている人が見たら、途中、退屈してしまう事もあるかもしれません。1950年代から1960年代の、SF(science
fiction)映画の、FX(special
effects・特殊効果)の、チープさ(安っぽさ)はありますが(特に、1960年代後期に公開された、SF(science
fiction)映画としては、FX(special
effects・特殊効果)は、稚拙であると思います)、当時の子供達が見たら、それなりに、怖ろしかったのではないでしょうか。ちなみに、前述の通り、FX(special
effects・特殊効果)は稚拙であるものの、語(ストーリー)を含めて、大人が見ても、楽しめる、エンターテインメント(entertainment)作品に仕上がっていると思います(と言うか、語(ストーリー)は、どちらかと言えば、子供向けと言うよりも、大人向けと言った感じです)。
以下、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)の、主要な登場人物の説明と、あらすじです。ネタバレを含みます。記憶頼りなので、細かい部分で間違っている点があったら申し訳ありません。
前述の通り、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、東京を舞台(舞台設定)とした映画です。
以下、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)の、主要な登場人物の説明です。
堀田(hotta):上級の役人の侍(samurai)。東京の、仏教の寺と神道(Shinto)の神社(shrine)を管理する役職。悪人(悪者)。利右衛門(riemon)と結託して、甚兵衛(jinbei)(後述します)が所有し貸している、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)を取り壊し、跡地に売春宿を建てて、金を儲けようとしている。
利右衛門(riemon):裕福な商人で、悪人(悪者)。堀田(hotta)と結託して、甚兵衛(jinbei)が所有し貸している、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)を取り壊し、跡地に売春宿を建てて、金を儲けようとしている。妻との間に、精神障害を持つ、中年の、一人息子(一人だけの子供で、男の子供)がいる。
甚兵衛(jinbei):長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の家主(owner)。重い慢性の病気の妻(既に、その病気で亡くなっている)の、(オランダ製(日本は、オランダとは、1609年から、(途中、第二次世界大戦時を除き)現在に至るまで、貿易を行っています)の高価な薬を購入する為の金を含めた)高額な治療費の為に、利右衛門(riemon)に借金をし、所有する、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)を抵当に入れていた為、利右衛門(riemon)に弱みを握られている。利右衛門(riemon)による、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の取り壊しを阻止する為に、(貧しく、つましく暮らす)長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の住人達の為に奮闘するが、利右衛門(riemon)の策略により殺されてしまう。
おきく(okiku):甚兵衛(jinbei)の一人だけの子供で、女の子供。甚兵衛(jinbei)が殺された後(ちなみに、利右衛門(riemon)が、人を使って、甚兵衛(jinbei)を殺した事は、明かされていない)、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の住人達の為に、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の取り壊しを阻止する為に、利右衛門(riemon)の要求に応じて、利右衛門(riemon)の養女として(利右衛門(riemon)の義理の娘となって)、堀田(hotta)の邸宅に、住み込みで、働きに出るが、利右衛門(riemon)に騙され、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の取り壊し計画は中止されなかった為、安太郎(yasutaro)に救い出される。
安太郎(yasutaro):表面の姿(仮の姿)は、(甚兵衛(jinbei)が所有し貸している)長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)に、庶民達と共に暮らす、貧しい、浪人(ronin)の侍(samurai)。正体は(本当は)、不正や悪事の(悪い事を行っている)疑いのある、堀田(hotta)の行動を探る為に、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による日本の中央政府により派遣された、スパイ(spy)。
以下、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)の、あらすじです。
映画の冒頭に、庶民達の、百物語(100物語)(日本の伝統的な、怪談(kaidan)会(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話をする集まり))が出て来ます。
利右衛門(riemon)(裕福な商人で、悪人(悪者))は、堀田(hotta)(上級の役人の侍(samurai)。東京の、仏教の寺と神道(Shinto)の神社(shrine)を管理する役職)と結託して、甚兵衛(jinbei)が所有し貸している、長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)を取り壊し、跡地に売春宿を建てて、金を儲けようとしている。
利右衛門(riemon)は、その余興(その計画を盛り上げる為の催し)として、自分の邸宅に、堀田(hotta)や、関係する商人・侍(samurai)達を招いて、百物語(100物語)(日本の伝統的な、怪談(kaidan)会(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話をする集まり))を開催する(最初に、語られた話は、2人の浪人(ronin)の侍(samurai)の男性が、妖怪(yokai)に殺されると言う話であった)。百物語(100物語)は、百話の怪談(幽霊(ghost)等を題材とした、怖い話)を、一つ語り終る度に、百本の灯りを一つずつ消していくもので、最後の灯りが消えたとき、妖怪(yokai)が出ると言われていた。そのため、百物語(100物語)の終りには、必ず、妖怪(yokai)が出ない為の、呪いを行う作法になっていた。しかし、利右衛門(riemon)は、その作法を無視し(その作法を行わず)、百物語(100物語)の参加者達に、賄賂的な、お金を配って、百物語(100物語)を終わりにした。また、利右衛門(riemon)は、堀田(hotta)の許可を得て、強引に、(甚兵衛(jinbei)が所有し貸している)長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)の敷地内にあった、神道(Shinto)の神社(shrine)を取り壊した。その為、利右衛門(riemon)と、堀田(hotta)は、妖怪(yokai)達に、付き纏わられる事になる。
利右衛門(riemon)は、妖怪(yokai)によって狂乱し、使用人と刺し違えて亡くなった。また、堀田(hotta)は、自分の邸宅に、妖怪(yokai)達が押し寄せ、正気を失い、そこに入って来た、安太郎(yasutaro)(表面の姿(仮の姿)は、(甚兵衛(jinbei)が所有し貸している)長屋(nagaya)(庶民向けの集合住宅)に、庶民達と共に暮らす、貧しい、浪人(ronin)の侍(samurai)。正体は(本当は)、不正や悪事の(悪い事を行っている)疑いのある、堀田(hotta)の行動を探る為に、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による日本の中央政府により派遣された、スパイ(spy))を見て、一瞬、正気に戻り自殺をした。それを、見届けた、妖怪(yokai)達は、歓喜の行進をしながら、堀田(hotta)の邸宅を去って行った。
以上、「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)の、あらすじでした。
「妖怪(yokai)百物語(100物語)」(1968年の、日本の映画)には、全部で、30程の、妖怪(yokai)が登場しますが(wikiを参考にしました)、以下で紹介する、妖怪(yokai)の一部も登場します。
以下、2024年の10月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物に、若干、内容を追加した物です。
妖怪(yokai)は、日本で、昔から言い伝えられている、モンスター(monster)の総称です。
非常に、多くの、妖怪(yokai)がいますが、以下、妖怪(yokai)の例です。
河童(kappa)は、水に住む、妖怪(yokai)(monster)です。
写真以下3枚(写真は、借り物)。

19世紀初期に描かれた絵で、1801年に、茨城(ibaraki)県(東京圏の北東端に位置する県)で捕獲されたとされる、河童(kappa)。
鳥山
石燕(toriyama
sekien)(1712年生まれ。1788年に亡くなる)は、18世紀の、日本の、画家・浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家で、妖怪(yokai)の絵を、多く描いた事で知られています。画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)は、1776年に刊行された、鳥山
石燕(toriyama sekien)による、妖怪(yokai)の画集です。

画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)(1776年)より、河童(kappa)。

葛飾 北斎(katsushika hokusai)(1760年生まれ。1849年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家の一人)の作品(1815年)より、河童(kappa)。
青坊主(aobouzu)は、様相は、日本各地の伝承により、それぞれ異なりますが、僧侶の姿として、表される事が多い、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)(1776年)より、青坊主(aobouzu)
雲外鏡(ungaikyo)は、鏡の、妖怪(yokai)(monster)です。
百器徒然袋(hyakki tsurezurebukuro)は、1784年に刊行された、鳥山 石燕(toriyama sekien)の、妖怪(yokai)の画集です。

写真は、借り物。百器徒然袋(hyakki tsurezurebukuro)(1784年)より、雲外鏡(ungaikyo)。
から傘、小僧(karakasa kozo)は、傘の、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。歌川
芳員(utagawa
yoshikazu)(19世紀の、日本の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家)作の、妖怪(yokai)を題材とした、双六(sugoroku)(board
game)(1848年から1854年頃?)の絵より、から傘、小僧(karakasa kozo)。
ぬっぺっぽう(nuppepou)(ぬっぺふほふ(nuppefuhofu)とも言う)は、顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿の、妖怪(yokai)(monster)です。
佐脇
嵩之(sawaki
suushi)(1707年生まれ。1772年に亡くなる)は、18世紀の、日本の画家です。百怪図巻(hyakkaizukan)は、1737年の、佐脇
嵩之(sawaki suushi)による、妖怪(yokai)を主題とした、絵巻物(emakimono)(下の補足説明を参照)です。
絵巻物(emakimono):説明は、wikiを参考にしました。日本の絵画形式の一つ。平安(heian)時代(794年から1185年)において、発展した。横長の紙(または絹)を水平方向に繋いで、長大な画面を作り、情景(風景)や物語などを連続して表現した物(終端に巻き軸をつけ、収納時には軸を中心にして巻き収めることが出来る)。この様な形式の、伝統的な、書物・経典・絵画は、東アジアにおいては、割と、一般的な物であり、同様の絵画形式は、中国、韓国等にも存在する。

写真は、借り物。百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より、ぬっぺっぽう(nuppepou)。
海坊主(umibouze)は、海に住む、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。歌川
国芳(utagawa
kuniyoshi)(1798年生まれ、1861年に亡くなる。19世紀初めから半ばまで活躍した、日本の、有名な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家)の作品(1840年代中期)より、海坊主(umibouze)。
歌川 国芳(utagawa kuniyoshi)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
歌川 国芳(utagawa kuniyoshi)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3844433/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
牛鬼(ushioni)は、主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うとされている、頭部が、牛の、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より、牛鬼(ushioni)。
おとろし(otoroshi)は、長い髪に覆われた、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)(1776年)より、おとろし(otoroshi)。
ひょうすべ(hyousube)は、とても毛深い、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より、ひょうすべ(hyousube)。
ぬらりひょん(nurarihyon)は、禿げ頭の老人の、妖怪(yokai)(monster)です。

写真は、借り物。百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より、ぬらりひょん(nurarihyon)。

写真は、借り物。画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)(1776年)より、ぬらりひょん(nurarihyon)。
一つ目小僧(hitotsumekozo)は、目が、一つだけの、坊主頭の、子供の姿をした、妖怪(yokai)(monster)です。
夭怪着到牒(bakemonocyakutoucyo)は、1788年に出版された、北尾
政美(kitao
masayoshi)(1764年生まれ。1824年に亡くなる。日本の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家)による、妖怪(yokai)を題材とした、娯楽本です。

参考に、写真は、借り物。夭怪着到牒(bakemonocyakutoucyo)(1788年)より。

写真は、借り物。夭怪着到牒(bakemonocyakutoucyo)(1788年)より、一つ目小僧(hitotsumekozo)。

写真は、借り物。参考に、一つ目小僧(hitotsumekozo)に類似した、目が一つの、僧侶の姿をした、妖怪(yokai)(monster)。百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より。
ろくろ(rokuro)首は、首が伸びる、(主に)女性の、妖怪(yokai)(monster)です。ろくろ(rokuro)首は、首が、胴体から離れて浮遊するタイプ(形式)もあります。

写真は、借り物。葛飾 北斎(katsushika hokusai)の作品より、ろくろ(rokuro)首。

画図百鬼夜行(gazuhyakkiyakou)(1776年)より、ろくろ(rokuro)首。この絵の「首」は、胴と頭を繋ぐ糸であるともされています。

百怪図巻(hyakkaizukan)(1737年)より、ろくろ(rokuro)首(抜け首)。
泥田坊(dorotabou)は、田の泥から、姿を現す、片目の、指が3本の、妖怪(yokai)(monster)です。
今昔百鬼拾遺(konjyakuhyakkisyuui)は、1781年に刊行された、鳥山 石燕(toriyama sekien)による、妖怪(yokai)の画集です。

写真は、借り物。今昔百鬼拾遺(konjyakuhyakkisyuui)(1781年)より、泥田坊(dorotabou)。
天狗(tengu)は、山の奥深くに住むと言われる、妖怪(monster)です。山伏(yamabushi。修験道(syugendo)(仏教の密教と日本古来の山岳宗教が結びついた宗教。山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする。wiki等を参考にしました)の僧侶)の姿をしているが、背中に翼があり、顔は、赤くて鼻が高いか(顔が、赤くて鼻が高い天狗(tengu)は、いわゆる、普通の天狗(tengu)。正式には、大天狗と呼ばれ、天狗(tengu)中でも強い力を持つとされる)若しくはカラス(crow)(顔が、カラス(crow)の天狗(tengu)は、カラス(crow)天狗(tengu)と呼ばれる。カラス(crow)天狗(tengu)の顔の色は、緑や黒と言った感じが一般的かな。。)と言う外見が、一般的です。

写真は、借り物(写真の作者:WolfgangMichel)。日本の、19世紀初期から中期頃の、カラス(crow)天狗(tengu)の、木彫りの、像。

写真は、借り物。歌川 国芳(utagawa kuniyoshi)の作品(1842年)より、(普通の)天狗(tengu)。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「現代の日本は、非常に、多くの、伝統的な祭りを受け継ぐ一方で、クリスマスも、ハロウィン(Halloween)も、楽しい、お祭りとして、日本の文化に取り入れています。この様な、宗教に関係がある、外国の行事さえも、あまり抵抗感がなく、自国の文化に取り入れて、自国に合わせた物にしてしまうと言う、日本人の気質は、個人的には、日本古来の宗教である(日本の、縄文(jomon)時代(約16000年前から2300年前)の、自然崇拝・多神教宗教を起源とする)、神道(Shinto)に関係していると思います。
神道(Shinto)は、多神教の宗教であり、八百万の神がいると言われています(八百万は、実際に、神道(Shinto)に、八百万の神がいると言う意味ではなく、非常に数が多い事の、例え。。。)。神道(Shinto)は、少し極端に言えば、キリスト(Jesus
Christ)や釈迦(Buddha)でさえも、神道(Shinto)の神の一つとして受け入れる程の包容力を有する宗教です(キリスト教の人達からすれば、信じられない事かもしれませんが。。。)。」
雷神(raijin)は、日本の、民間信仰や神道(Shinto)における、雷の神です。
写真は、借り物。尾形 光琳(ogata kourin)(1658年生まれ。1716年に亡くなる。17世紀後期から18世紀初期にかけて、活躍した、日本の、有名な、画家)の作品の部分より、雷神(raijin)。
毛女郎(kejyorou)は、長い髪が、ぼうぼうの(手入れされないで伸びた)、妖怪(yokai)で、遊郭(yuukaku)(日本の、伝統的な売春宿)に現れるとされる、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)の姿をした、妖怪(yokai)(monster)です。
遊女(yuujyo)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。ちなみに、芸者(geisha)(舞妓(maiko)は、芸者(geisha)の見習いの女性)は、舞踊等で、客をもてなす、日本の、古くからある、伝統的な職業の、女性で、外国では、混同される事もあるが、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)とは、あくまで、区別されます(遊女(yuujyo)は、売春婦であるのに対し、芸者(geisha)は、宴会(party)の席等で、客をもてなす、日本の、伝統的な職業の、女性です(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、芸者(geisha)としての職業の範囲外での話です))。
芸者(geisha)・舞妓(maiko)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3856449/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
今昔画図続百鬼(konjyakuzuzokuhyakki)は、1779年に刊行された、鳥山 石燕(toriyama sekien)による、妖怪(yokai)の画集です。

写真は、借り物。今昔画図続百鬼(konjyakuzuzokuhyakki)(1779年)より、毛女郎(kejyorou)。
白粉婆(oshiroibabaa)は、顔を白く塗りたくった、老婆(老人の女性)の姿をした、妖怪(monster)です。

写真は、借り物。今昔百鬼拾遺(konjyakuhyakkisyuui)(1781年)より、白粉婆(oshiroibabaa)。
狂骨(kyoukotsu)は、幽霊(ghost)の様な姿をした、骸骨の、妖怪(monster)です。

写真は、借り物。今昔百鬼拾遺(konjyakuhyakkisyuui)(1781年)より、狂骨(kyoukotsu)。