大邱の名物スソングモッ. 昔の人々にはこちらで遊船をした思い出が立ちこめた所で, 今人々にはレポーツと遊興でまた他の意味をプレゼントする所だ.
スソングモッ迎えた方低目な住んだ入口には大邱人たちがよく分からない場所が隠れている. ある日本人の畝だ. 昔にはスソングモッを見下ろすことができたが今は建物一部に支えてスソングモッ全体が見えない.
廟議主人公は日本人ミズサキリンタで(水崎 林太郎). すぐスソングモッを逐造した人物だ. スソングモッと彼の畝は ¥"韓日友好の象徴¥"でもある.
1914年彼は日照りと洪水によってあばらな水性たちを沃土で作るために自分の私財(私財)と総督府の支援でもらった当時お金 1万2000円(現在 10億円相当)をスソングモッ築造工事にはたいて入れた. ミズサキリンタロシは 10余年の工事あげく現代的潅漑施設を取り揃えたスソングモッを逐造して大邱の農民たちに大きいお手助けになった. 工事の時くぎ築造を反対した人が投げた石に足に迎え困境に処した時もあったという話が後日談のように伝わって来ている.
そんなスソングモッは潅漑施設としての機能はつくしたが今までも大邱人たちには思い出と浪漫をプレゼントしている.
ミズサキリンタロシは 1939年世を去った. いつまでも彼の遺言によってスソングモッが見下ろされる現在の場所に鞍された. 彼の畝は農民たちの面倒を受けて来たが歳月が経ちながら墓地が遺失されて墓碑だけ残るようになった. 忘れて捨てられたようにしたこと.
こんな事実が分かるようになった西窓校(徐彰教・78) 韓日親善交流会会長が彼の墓所を尋ねて補修に出た. また舷窓費も建立して今の姿を取り揃えるようになった.
以後韓日親善交流会がミズサキシの墓地を管理して毎年彼の期日(忌日)に合わせて追悼式も行い始めた. この追悼式は日本にまで知られて多くはないが日本の人々が尋ねて来たりする. 今年はミズサキリンタロシが世を去ってから 70年を迎える年だ.
韓日親善交流会では彼の期日の 4月 13日墓地で 70週期追悼式を行った. この日行事には日本側でダミスするのシュイツ釜山駐在総領事, 私邸野馬流れ矢そのミズサキリンタで舷窓会長など日本人 25人を始じめ韓日親善交流会会員, 韓日多聞花宴区会会員など 60人余りが参加してミズサキリンタロシの球を称えた.
韓日親善交流回側はこれから隣近水性観光ホテルで墓地に至る直線コース造成, 墓地周辺に植えられているイタリアポプラ代わりに桜を植えるなど墓地を美しく作る事に力を注ぐ計画だ.
西窓校韓日親善交流会会長はミズサキリンタロシは本当に韓国の農民たちを思って潅漑施設を取り揃えたスソングモッを逐造した人だったと私たちは善良な日本人の業績を韓日友好の象徴で後世にまで伝えなければならないと言った.
で会長は自分と奥さんが死ねば化粧して遺骨をミズサキシの墓地近所に振り撤いてくれという遺言を残した状態だ. このような人は何人がもっといると言った.