日本の味噌のような生鮮調味料を味噌と言い出したのはわずか数十年前からの事。
100年前に日本人移住者を相手に味噌や醤油の醸造所ができてから、その醸造所の日本人がいなくなって従業員がその工場を受け継いでからの事さ。
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戦国武将の陣中食として、「味噌玉」が大活躍!
ではここから、今回のテーマである戦国武将と味噌玉の話に入っていきましょう。
「腹が減っては戦はできぬ」というよく知られた言葉がありますが、空腹を満たすのはもちろんのこと、食事の質は戦いの勝ち負けを左右するほど大切なもの。戦国武将たちは戦いの合間に食べる「陣中食」「戦陣食」に強い関心を持っていたのだとか。
陣中食という意味から考えると、ただ「栄養がある」だけでなく、「持ち運びしやすい」「保存できる」「作りやすい」「すぐ食べられる」といったことも大切なポイントです。
こうした考えにも合致し、戦国武将に愛されてきたのが「味噌玉」というわけです!
ちなみに味噌は、飛鳥時代~奈良時代に日本に伝わり、室町時代には自家醸造も始まり庶民の間に浸透していきました。そして、戦国時代に味噌玉が誕生したという流れです。
当時の味噌玉は、味噌を干したり焼いたりしてつくったもので、米など他の食材と一緒に竹の皮などで包み、腰に下げて携帯していたのだとか。もしくは、味噌・酒・鰹節などで煮て乾かした干し大根や芋がら(ずいき)などを利用することもあったと言われています。
武将それぞれのエピソードも興味深いです。信州味噌・仙台味噌・赤味噌など、味噌の産地にはこうした歴史が深く関係していたんですね!
<武将×味噌のエピソード>
・武田信玄…陣中食として味噌づくりを進めたことがきっかけで、信州は味噌の一大産地となり、現在に至っている。海に面していない信州では当時貴重品であった塩を貯蔵する意味でも、味噌は大切な存在であった。
・伊達政宗…味噌を自給しようという考えから、仙台城下に「御塩噌蔵」という初めての味噌蔵をつくった。香りや旨味が強く、保存性も高いと評判であった。
・徳川家康…健康への関心が高く長生きしたことで有名な家康の好物は、麦ごはんと豆味噌。葉物5種類、根菜3種類が入った味噌をよく食べていたのだとか。これに影響を受けて、家康に続く代々の将軍たちも味噌汁を欠かさなかったとされる。こうした流れのなかで、愛知県を中心に豆味噌づくりが盛んに行われるようになる。
豆味噌づくりの産地・愛知県には、家康のほかにも織田信長や豊臣秀吉という代表的な戦国武将がいますが、彼らもまた豆味噌を好んでよく食べていたとされています。
https://intojapanwaraku.com/culture/41371/
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武田信玄が亡くなったのは1573年5月
>日本の味噌のような生鮮調味料を味噌と言い出したのはわずか数十年前からの事。
>100年前に日本人移住者を相手に味噌や醤油の醸造所ができてから、その醸造所の日本人がいなくなって従業員がその工場を受け継いでからの事さ。
400年以上前に存在していますが何か?
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