朝鮮人が海苔にごま油を塗る理由

朝鮮の正月料理を紹介する本「栄養と料理」(1941年)
一番下の真ん中に「海苔油焼(キムクイ)」という料理が紹介されているが、「岩海苔の貝や石を取り除き、紙の上に重ねて平らに置きます。刷毛にて「胡麻油」を塗り、その上に塩を少々振りかけ、又、下の海苔に油を塗り塩をふる。これを火にかざして焼き、形を揃えて切る。皿に載せ中央に爪楊枝を刺し、飛び散らないように食べます」と書かれてる。つまり日帝時代に入ってきた日本式の「板海苔」ではなく、本来は「岩海苔」を乾かした乾燥海苔の食べ方だったということだろう。
海苔の開発が日帝時代だった証拠書類
朝鮮人の商業(1925年/朝鮮総督府) 第七節 特遊物の生遊及取引/411p-412p「海苔」


まず1890年に総督府が出した「朝鮮通漁事情」において、朝鮮人は岩海苔(天然海苔)を手摘みしていた。と書かれており、ごく僅かな一部で養殖もしていると書かれている。ここで言う海苔とは勿論「板海苔」のことではない。1925年に総督府が出した「朝鮮人の商業」には、その海苔の養殖について書かれている。
まず朝鮮の一部の干潟地でわずかに養殖されているが、貧弱な製造法で藁簀の上で海苔をただ乾かしただけで、貝や砂利、他の海藻なども混ざり込んだ粗雑なものだったとのこと。
これはようするに手摘みした海苔を藁の上で平たく広げて、ゴミを適当に取り除いてそのまま乾かして食べていたという。だから板海苔ではない、乾燥ワカメやハバノリのようなものだろう。
そこで、日韓併合前から広島や福岡の日本人が材料買い付けに朝鮮半島を訪れ、製造法を教えようとしたが、これはなかなか上手くいかず、朝鮮総督府主導による指導で朝鮮人に日本式の紙漉きを応用した抄造法を訓練し、今の「板海苔」が出来た事が書かれている。
また、海苔巻きについても、

「韓国民族文化大百科事典』の「김밥(キンパ)」の説明
「キンパプは海苔の上にご飯を広げ、ほうれん草、卵、たくあん、キュウリ、ゴボウ、ハム、牛肉、マグロやカタクチイワシなど様々な材料で具を入れて巻いて包んだ料理である。 今日の海苔巻きは、日本による植民地時代 日本から伝わった巻き寿司が韓国方式で土着化された食べ物で、海苔にご飯を包んで食べる形、海苔をご飯に混ぜて成形したおにぎりの形、酢水で味付けしたご飯に様々な材料を入れて丸めた形などがあった。 1950~60年代を経てのり巻きが大衆化され、牛肉とシイタケの煮付け、卵焼き、ほうれん草のナムル、たくあん、ニンジン炒めなどが牛として使われ始めた。 1980年代に肉加工技術が発展しハムが追加され、1990年代以降のり巻き専門店ができ、野菜のり巻き、ニンジン海苔巻き、キムチ海苔巻き、牛肉キンパプ、唐辛子海苔巻き、豚カツキンパプ、チーズのり巻き、キトのり巻きなど多様な海苔巻きが消費されている。」と書いている。
韓国文化院連合会(한국문화원연합회)「日帝強占期寿司で導入したキンバプ」には

「海苔巻きに関する記録は日本による植民地時代ご飯に酢を入れて玉子焼き、でんぶ(鯛の身をピンク色に染めたもの)などを中にして海苔に包むとできる。 酢で味付けした海苔巻きは解放後の新聞記事からもその調理法が見える。 今日のキンパは酢よりごま油と塩で味付けする。 海苔巻きの大衆化は、日本による植民地時代海苔がある程度生産され、日本の弁当文化が定着して作られた。」と書かれている。