岡田 以蔵(おかだ いぞう、天保9年1月20日(1838年2月14日) - 慶応元年5月11日(1865年6月4日))は、土佐の郷士で土佐勤王党に加わった幕末四大人斬りの一人。「人斬り以蔵」と呼ばれた。諱は宜振(よしふる)。
武市の意向なのか分からないが、暗殺の現場には、武市の指示に従って進んで出ている。武市が、教養の無い以蔵を、ただ単に暗殺の道具として使ったともいわれている。
土佐藩下目付けの井上佐一郎をはじめ、同志の本間精一郎や池内大学、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人 村山加寿江の子多田帯刀などを天誅と称して暗殺(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。世間からは「人斬り以蔵」と呼ばれ薩摩の田中新兵衛と共に恐れられた。
テロリストなら、これぐらいの実績を残さなきゃ^^