「演歌」は、「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。
藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。
つまり、政治を風刺する歌(プロテストソング)で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まりといわれる。
この頃流行ったのが「オッペケペー節」を筆頭に「ヤッツケロー節」「ゲンコツ節」等である。他にも政治を風刺する歌はあったが、これ以後、「演歌」という名称が定着する。
明治後半から、心情を主題にした社会風刺的な歌が演歌師によって歌われるようにもなり、次第に演説代用から音楽分野へとシフトするようになった。
大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って作曲する者も現われた。鳥取春陽の登場である。彼の作曲である『籠の鳥』は一世を風靡した。ただしこのような歌は「はやり唄」と呼ばれ、通常「演歌」には入れない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%AD%8C
^^ 政府批判の演説が止められることがあったので、演説の内容を歌にしたのが「演歌」なのですよw
政府に抵抗するための演説の歌=演歌
日本全土で大々的な民主化運動をしていた頃の朝鮮
↓

1880年のソウル(京城)
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