サトウキビの原産地は、南太平洋の島々で、そこから東南アジアを経て、インドに伝わったとされる。紀元前2000年ごろにインドで砂糖が使われており、サトウキビから砂糖を作ったのは、インドが最古である。インドの砂糖やサトウキビは、アラビア人によってペルシャ・エジプト・中国などへと伝えられた。
日本には奈良時代に鑑真によって伝えられたとされている。中国においては唐の太宗の時代に西方から精糖技術が伝来されたこと(それ以前の中国では、砂糖はシロップ状の糖蜜の形で使用されていた)により、持ち運びが簡便になったためとも言われている。当初は、輸入でしかもたらされない貴重品であり医薬品として扱われていた。琉球王国では、1623年に儀間真常が砂糖生産の奨励を始めた。
江戸時代の将軍徳川吉宗が琉球からサトウキビをとりよせ、江戸城内で栽培させ、サトウキビの栽培を奨励した。ヨーロッパには、11世紀に十字軍が持ち帰り、地中海周辺でサトウキビが栽培されるようになった。
いずれにしても、江戸時代以前は超高級品で
一般人の口に入るようなものではなかったようです。
それでは、砂糖以前の甘味料は何だったのでしょうか?

きのう11月8日は立冬。
金沢・兼六園の冬の風物詩「雪吊り」も美しい姿を見せ、街は冬仕度がすすんでいます。
加賀百万石の城下町、金沢は京都に似て街並みにも人々の暮らしにもさまざまな歴史が息づいています。
白い四角の帆布に「あ」「め」と黒く墨書された暖簾で知られる、あめ屋さんもそんな伝統を大切に守ってきたお店のひとつ。
道具や設備は、変っても江戸時代の創業の頃からの蒸しあげた米に砕いた麦をまぜて、お湯と共に仕込むだけというシンプルな工程のあめがとても人気です。
米のでんぷんに発芽した麦をくだいてまぜ、お湯の中で発酵させると麦芽の中の酵素の働きで、でんぷんが麦芽糖に変ります。
これを絞って煮詰めたものが水あめ、これを更に煮詰めるとコハク色のあめになるのです。
この麦芽糖の歴史は、日本書紀にも「あめ」が登場するほど古く、砂糖が高価ながら一般的に使われはじめた江戸時代後半までは日本の甘味料の代表として「あめ」というより調味料として用いられていたのです。
お隣りの韓国では、今も水あめが調味料としてたくさん売られていますが、料理に使うと魚の生ぐささを消したり煮物に照りをつけるなどの働きもあるのです。