(18)日満で違った「汽車」
2019.12.4
「汽車」を題名にとった歌はいくつかある。~今は山中 今は浜 今は鉄橋…で始まる文部省唱歌『汽車』はその代表格だろう。初出は明治45(1912)年の「尋常小学唱歌」第三学年用。作曲は、東京音楽学校(現東京芸大)出身で東京第一師範(同東京学芸大)教授などを務めた大和田愛羅(あいら)(1886~1962年)。作詞は、諸説あり、確定されていない。
3番の歌詞にある「廻り灯籠の画の様に」くるくる変わる車窓の景色は、日本の自然の多様性がよく描かれている。そして、大和田が書いたメロディーは、スピードにあふれ、実際に汽車に乗っているかのような臨場感が心地よい。
『汽車』が世に出た明治45年には、日本初の特急列車(新橋-下関)が登場している。特急列車は下関から連絡船で朝鮮・釜山へ、さらに朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)-南満洲鉄道(満鉄)などからシベリア鉄道につながる欧亜連絡ルートの一翼を担うことになる(※欧亜連絡ルートは、他に敦賀経由など複数あった)。
鉄道の黄金時代の到来と合わせて『汽車』は子供たちに愛され、戦前の唱歌集の第三学年用にずっとあった。戦時下に一時外れたが、昭和22(1947)年、文部省(当時)が内容を一新した「三年生の音楽」で復活。民間の検定教科書になっても、40年代までは残されていた。
「外地」は理解不能
この『汽車』について、岩波ホール(東京・千代田区)の総支配人を務めた高野悦子(平成25年、83歳で死去)から興味深い話を聞いたことがある。広大な荒野が続く旧満州(現中国東北部)で生まれ育った高野には『汽車』の歌詞が理解できなかったというのだ。
高野は昭和4年、満州・大石橋(だいせっきょう)の出身。満鉄の幹部技師だった父の転勤で満州各地に住んだが、『汽車』の歌詞に出てくる山や浜、鉄橋やトンネルが目まぐるしく変わるような景色は見た記憶がない。《満州では地平線まで線路が続いている。さしずめ、『今は広野、また広野、次も広野』でしょうか。日本で汽車に乗ったとき、初めてあの歌詞が、作りごとでないことが分かりました(笑)》(平成15年6月17日付産経新聞掲載のインタビュー)
『汽車』に限らず、満州育ちの子供たちは、さらさら流れる小川(『春の小川』)も、村の鎮守の神様(『村祭』)も分からない。だからこそ外地(満州、台湾、朝鮮)では独自の自然や風俗を織り込んだ唱歌が作られた。
高野ら満州っ子にとっての「汽車の歌」は満州唱歌(※満州の日本人児童のために作られた唱歌)の『南満(なんまん)本線』だった。この歌を歌いながら、満州っ子が思い浮かべたのは、3番の歌詞に織り込まれた満鉄自慢の特急「あじあ」(営業運転は昭和9年~18年)の雄姿だろう(※2番の歌詞に登場する「はと」は急行)。
満鉄の日本人技術者は、社議決定から1年あまりという短期間で「あじあ」の営業運転にこぎつける。最高時速130キロ。当時内地(日本)最速だった国鉄の特急「燕(つばめ)」よりも平均時速で約15キロも早く、客車は冷暖房完備という豪華列車は、見学に来た欧米人を驚かせた。ライバル心をかき立てられた国鉄の技術陣は最高時速150キロの「弾丸列車」計画に取りかかる(※一部用地買収、トンネル掘削に着手したが、開戦によって中止)。
「兵隊さん」悪歌?
「汽車」の歌のもうひとつの代表格は『汽車ぽっぽ(ポッポ)』(~汽車汽車ぽっぽぽっぽ…)だろう。この歌は戦争を挟んで複雑な運命をたどる。
教員出身の冨原(ふはら)薫が作詞、『揺籃(ゆりかご)のうた』『夕やけこやけ』の草川信(しん)の作曲で、日中戦争が始まった昭和12(1937)年にレコード童謡として世に出たときは『兵隊さんの汽車』という題名だった。
~兵隊さんを乗せて…僕らも手に手に日の丸の旗をふりふり送りましょう-と歌う元の歌詞には国や家族を守るために戦地へ向かう兵士の武運を願う子供たちが描かれている。当時は自然な光景だった。少女歌手の川田正子(かわだ・まさこ)(平成18年、71歳で死去)は昭和18年の音楽コンクールでこの歌を歌い2位になっている。
ところが、終戦後の20年暮、NHK紅白音楽試合で、その川田が『兵隊さんの汽車』を歌おうとしたところ、ストップがかかった。結局、軍国主義や皇民化政策などに関わる歌を排除する連合国軍総司令部(GHQ)の方針に沿って急遽、題名と詞を差し替えることになり、冨原が新たに書き上げたのが『汽車ぽっぽ』である。「兵隊さん」→「僕ら」に変わり、子供たちの見送りの場面も「スピードスピード窓のそと畑もとぶとぶ家もとぶ」などと修正された。
この時期、GHQの意向によって他にどれだけの歌が「悪い歌」と決めつけられて闇に葬られたことか。戦後74年たった現在もアンタッチャブルのごとく、見直しはされていない。
「茶摘」「虫のこえ」
冒頭に挙げた『汽車』の初出唱歌集(「尋常小学唱歌」第三学年用)には、他にも長く親しまれてきた歌が多い。『村祭』▽『春が来た』(~春が来た春が来た…)▽『茶摘』(~夏も近づく八十八夜…)▽『虫のこえ』(~あれ松虫が鳴いている…)などだ。
このうち、『春が来た』と『虫のこえ』は現在も、文部科学省の学習指導要領が定める歌唱共通教材(授業で扱うべき歌)第2学年用、『茶摘』は同じく第3学年用に指定されており、音楽教科書に載っている。そう考えると、『汽車』が残ってもおかしくはない。
作曲の大和田は満州唱歌もいくつか書いている。『歌時計』『石炭くべませう』(大正15年「満洲唱歌集」尋常科第三、四学年用)のほか、『待ちぼうけ』『ペチカ』と同じ第一、第二学年用に収録された『メガデタ』は野口雨情(うじょう)が作詞、戦後の同窓会などでもよく歌われた名曲である。=敬称略、隔週水曜日掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
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≪汽車≫
1 今は山中(やまなか)今は浜 今は鉄橋(てっきょう)渡るぞと 思う間もなくトンネルの 闇を通って広野原
2 遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒(のき) 森や林や田や畑 後(あと)へ後へと飛んで行く
3 廻(まわ)り灯籠(どうろう)の画(え)の様(よう)に 変わる景色のおもしろさ 見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる幾(いく)十里
≪南満本線≫
1 春は南から杏(あんず)の花で 冬は北から氷柱(つらら)で知らす 詩(うた)の列車がかららん鐘を 鳴らして走るよ南満本線
2 神の御使(みつかい)平和のしるし 「はと」はよくとぶかわいい鳥よ 和(なご)みうるおいただ一筋に 緑野走るよ南満本線
3 愛の動脈力の泉 つきぬ勢(いきおい)を姿に見せて かけれ「あじあ」よただ一飛(ひととび)に 拓(ひら)く使命は南満本線
https://special.sankei.com/f/life/article/20191204/0001.html
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( ´-∀-) なんまんだぁ〜♪