基本的に、2019年の5月の前半に行った投稿の再掲です。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、「」内。前の他の方の投稿の私のレスより。。。
「こんばんは^^ 何ですか、これw 初めて知りました(あっ、コメントで追加された「翔んで埼玉」は知っています。じっくり見た事はありませんが)。私は埼玉は基本的に良くも悪くも関心がなくて(埼玉の方、ごめんなさい)、私は東京23区生まれ・育ち・在住ですが、今まで生きて来た中で、基本的に、今も含めて北隣の埼玉県よりも南隣の神奈川県に遊びに行く方が、圧倒的に多いです。
ただし、一時期、秩父にはまっていて(秩父が気に入り、秩父に、盛んに、小旅行に行っていた時期があって)、当時交際していた女性と「秩父34ヶ所」に指定されている、全ての、寺・お堂を、訪れた事があります(一度に、全部、訪れた訳ではありません)。また、一時期、越生に、はまっていた時期(越生が、お気に入りの場所だった時期)があり、越生は、主に、梅とツツジの花を見る為に、結構訪れています(最近は訪れていませんが)。私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。
以下、埼玉関連で。。。
私が大学生の時、一時期加入していたアマチュアロックバンドのメンバーの一人が、川口に住んでいました(ただし、川口駅に降り立った事は、(主にそれ関連で)数える程しかありませんw)。
鉄道博物館がリニューアルされた?ようなので(私は、子供の頃から、鉄道を含めた乗り物に広く浅く興味があります)、近々、彼女と遊びに行く予定です(鉄道博物館は前に個人的に休みであった日に一人で行った事はあります)。」
埼玉(saitama)県は、東京圏の北部に位置する県です。
写真以下6枚。前にアップした写真で、当時、交際していた女性とのデート(date)で、東京の北西部近郊(埼玉(saitama)県)の越生(ogose)に、ツツジの花を見に行った時の物です。越生(ogose)は、東京の北西部近郊(埼玉(saitama)県)にある、人口10,000人程の町です。越生(ogose)は、梅、ツツジ等の花の名所となっています。私は、一時期、越生に、はまっていた時期(越生が、お気に入りの場所だった時期)があり、越生は、主に、梅とツツジの花を見る為に、結構訪れています(最近は訪れていませんが)。






写真以下50枚(以下の秩父(chichibu)の芝桜以外の写真)は、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と付き合い始めの頃の、デート(date)又は小旅行の時の物です(秩父(chichibu)の芝桜の写真は、彼女が20代の初めの大学生の頃、日帰りで、デート(date)で、秩父(chichibu)の芝桜を見に行った時の物)。当時、彼女は、まだ10代の大学生で、私も、まだ、30代の半ばの終わり頃でしたが、私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いている事もあって、当時から、傍から見て、特に違和感のあるcoupleに見られませんでした。ちなみに、その事に関して、彼女は、内面は、少女的な面も多いのですがw、ルックスは可愛い系・幼く見える系の女性ではないと言う事もあると思います。ちなみに、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました。
以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「適度に可愛くて男性達に身近な存在として気軽にチヤホヤされて来た・チヤホヤされている女性・女の子よりも、美人でスタイルが良い美人型の女性・女の子の方が、相対的に、真面目で純粋で性格が良いなんて事もありますが、私の今の彼女の場合、後者です。私の今の彼女は、一般的に見て、所謂、高嶺の花的な女性に該当しますが、話すと穏やかで、又、私と同じで、天然で、細かい事は気にしない、大雑把な面がありますw」
写真以下3枚は、おまけで、埼玉(saitama)県は、全く関係なく、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)の、神道(Shinto)の神社(shrine)秋祭りの風景例で、彼女とデート(date)で、私の街の、神社(shrine)秋祭りに訪れた時に撮影した写真です。この時、彼女は、浴衣(yukata)を着て、私の街の、神社(shrine)秋祭りを楽しみました。
日本人は、非常に、花火が、好きで、日本では、夏に、非常に多くの、花火大会(花火祭り)が開催されます。参考に、netで、軽く調べた所、2017年に、夏から初秋にかけて、日本(日本全国)で、開催される、花火大会(花火祭り)は、1,000を超えていた様です。また、日本では、夏に、花火大会(花火祭り)以外の、通常の祭りも、非常に、たくさん開催されます(日本では、夏に開催される祭りの事を、夏祭りと言います)。例えば、私が暮らす、渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)を構成する、23の区の内の一つ。東京中心部(東京23区)の西部に位置する)だけでも、(夏に、渋谷(shibuya)区内の各地域で、祭りが行われ)、7月の後半から8月にかけて、30近い、夏祭り(夏に開催される、花火大会(花火祭り)以外の、通常の祭り)が行われます。日本では、多くの女性が(特に、子供から、若い女性が)、夏から初秋にかけて、夏祭り(夏に開催される、花火大会(花火祭り)以外の、通常の祭り。ただし、夏祭りと、花火大会(花火祭り)の区分が曖昧な場合もある)と、花火大会(花火祭り)に、遊びに行く際に、浴衣(yukata)(夏用の、簡易な、着物(kimono)(日本の伝統衣装))を着ます。
ちなみに、浴衣(yukata)(夏の、日本の、伝統衣装)は、日本の男性にとって、思い出に残る、青春時代の(中学生・高校生・大学生(又は、20代初め位の時まで)の時の)、女性の、衣装となっています。中学生・高校生・大学生(又は、20代初め位の時まで)の時(特に、中学生・高校生の時)、付き合った女性、又は、仲良くなった女性と、初めて、デート(date)で、夏祭り(夏の、お祭り)・花火大会(花火祭り)に行って、彼女の(又は、仲良くなった女性の)、浴衣(yukata)(夏の、日本の、伝統衣装)の姿を見るのは、ドキドキ(興奮)する物ですwもちろん、大人になってから(22歳位、以降)も、付き合った女性、又は、仲良くなった女性と、初めて、デート(date)で、夏祭り(夏の、お祭り)・花火大会(花火祭り)に行って、彼女の(又は、仲良くなった女性の)、浴衣
(yukata)の姿を見て、美しいとは思いますが、ある意味、そうした事に、慣れてしまうと言うか、青春時代の時の(中学生・高校生・大学生(又は、20代
初め位の時まで)の時の)様な(特に、中学生・高校生の時の様な)、高揚感と言った物はなくなりますw。
アメリカや西ヨーロッパの国々では、どの街でも、少なくとも一つの、キリスト教の教会があると思いますが、それと同様に、日本では、どの街にも、一般的には、少なくとも、1つの、神道(Shinto)の神社(shrine)又は、仏教の寺、もしくは両方が存在します。こうした、神道(Shinto)の神社(shrine)と仏教の寺(特に、神道(Shinto)の神社(shrine))は、宗教と言うよりも、生活文化として、街の人々の生活の中に自然と溶け込んでいます。
もちろん、東京都心部の、私の街にも、神道(Shinto)の神社(shrine)があります。
この神社(shrine)の歴史は、1212年まで遡りますが、神社(shrine)の建物自体は、時代を経る毎に建替えられており、それ程、古いものでは、ありません。東京中心部(東京23区内)ですが、神社(shrine)の敷地内は、背の高い木々に覆われ、森の様な雰囲気となっており、静かで、神聖な雰囲気となっています(この神社(shrine)から、それ程遠く無い場所にある、明治神宮(meijijingu。東京中心部で最大の神社(shrine))ともなると、本当に都心にある深い森と言った感じです)。
私の街の神社(shrine)の、最も、規模の大きな、祭りは、毎年、9月に行われる、秋祭り(秋に行われる祭り)です。普段は、とても静かな、私の街の神社(shrine)の境内(敷地内)ですが、毎年9月に、行われる、秋祭り(秋に行われる祭り)の日は、たくさんの屋台が建ち並び、賑やかとなります。
私は、子供の頃は、この神社(shrine)(私の街の神社(shrine))の秋祭り(秋に行われる祭り)を、毎年楽しみにしていました(前述の通り、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、私の母は、一人っ子です)が、近所にあり、私は、私の街で、生まれ育ちました)。
ちなみに、私の街の神社(shrine)の秋祭り(秋に行われる祭り)は、毎年9月に、2日続けて、行われます。



以下、再び、埼玉(saitama)に戻ります。
写真以下20枚。前にアップした投稿から抜粋して来た物で、彼女と、東京の北西部近郊に位置する高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)に、デート(date)で、彼岸花を見に訪れた時の物です。この時は、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)にある、日和田(hiwada)山と言う、標高305mの低い山の登山を含む、軽いハイキングの要素もあるデート(date)でした。
高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)は、飯能(hannou)(東京の北西部近郊(東京都心部から遠い、東京の北西部郊外。埼玉(saitama)県(東京圏の北部に位置する県)の、南端部の中西部)に位置する、人口8万人程の小都市)の、北部近郊に位置する地域です。高麗(koma)郷は、高句麗(Goguryeo。紀元前37年から668年)が滅亡した際に、日本に移住して来た、(おそらく、高句麗(Goguryeo)の上流階級に属していた)人々が、朝廷(日本の中央政府)の命令により、この地に、716年に移住し、(当時の、高句麗(Goguryeo)の進んだ技術により)開拓した地域です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、高麗(koma)神社(shrine)があります。高麗(koma)神社(shrine)は、高麗(koma)郷の開拓で指導的な役割を果たした高句麗(Goguryeo)人、高麗
若光(komano jyako)を祀る為に、高麗(goryeo)郷の、高句麗(Goguryeo)系の人々が、高麗 若光(komano
jyako)が亡くなった後に、創建した、神道(Shinto)の神社(shrine)です。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の人々(高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫)は、祖先が日本に移住してから、1300年以上も経ち、既に、完全に、「日本人」となっていますが、現在でも、高句麗(Goguryeo)からの移民の子孫である事を誇りに思い、また、祖先の母国である、韓国に対し、通常の日本人よりも、親しみを感じている様です。
写真以下3枚。 この時登った、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)にある、日和田(hiwada)山と言う、標高305mの低い山。日和田(hiwada)山は、今回、初めて登りました。軽く登山を楽しむのに、丁度良い山と言った感じです(登山途中、毎日、ペット(pet)の犬を連れて、山頂まで、散歩していると言う、地元の方にも、出会いました)。



写真以下17枚。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の、彼岸花。高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)には、今まで、結構、彼岸花を見に訪れており、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)に、彼岸花を見に訪れたのは、今回で、4回目でした(何れも、女性と2人での、デート(date)で訪れています)。元々、高麗(koma)郷(高麗(goryeo)郷)の、この地(巾着田)には、彼岸花が自生していたのですが、(おそらく)、地元の人々が整備し、これだけ、彼岸花を増やしました(これだけの、彼岸花の花園にしました)。

















以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
写真以下27枚。前にアップした投稿から抜粋して来た物で、彼女と、秩父(chichibu)方面に、一泊2日の小旅行に行って来た時に関する投稿から抜粋して来た物です。ちなみに、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「ちなみに、私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
私の今の彼女は、私の事を、「酒癖の良い男」と呼んでいます。何故ならば、彼女と二人きりで飲んでいて、私は酒に酔えば酔う程、彼女を賛辞する言葉・彼女の対する甘い言葉が、臆面もなく、どんどん飛び出て来るからです(彼女は、それは、まんざらではないようですw)。私は彼女よりもずっと年上の大人ではあるのですが、そうです、二人共馬鹿なんですw」
6月の下旬に、東京の北西部近郊の、秩父(chichibu)areaに、一泊の、小旅行に行って来た時の物です。秩父(chichibu)市(下の補足説明参照)を中心とする秩父(chichibu)areaは、古くから仏教の巡礼地として人気の場所であると共に、豊かな自然を有し、観光地となっています。
秩父(chichibu)市:東京の北西部近郊(東京圏の北部に位置する埼玉(saitama)県の西部)に位置する、人口6万5,000人程の小都市で、埼玉(saitama)県西部の中心都市。埼玉(saitama)県は、東京中心部(東京23区)の北部等に隣接し、基本的には、東京都心部に通勤する人々が多く暮らす、東京の北部郊外の住宅地域となっていますが、西部地域は、豊かな自然を有しています。秩父(chichibu)市は、秩父(chichibu)area(ほぼ、埼玉(saitama)県西部と一致)の中心都市となっていますが、秩父(chichibu)市自体、豊かな自然を有しています。
ちなみに、鉱泉とは、温泉と同じ成分を含む湧水で、温泉と同じ療養効果(美容、健康、病気等の治療への効果)がありますが、温泉よりも温度の低い物を言います。逆に、鉱泉の内、温度の高い物が温泉であるとも言えます。したがって、温泉と鉱泉は、実質的に同じ様な物です。鉱泉は、そのままでは、冷たくて、入浴して暖まるのに、適した温度ではない為、温泉として(温泉の様に)入浴するには、沸かして、人工的に温める必要があります。また、温泉であっても、比較的温度の低い物は、入浴に利用する場合は、やはり、入浴に適した温度に、沸かして、温める必要がありますし、また、逆に、温度が高過ぎる物は、入浴に利用する場合は、冷ますか、水を加えて、人工的に、温度を低くする必要があります。
この時は、秩父(chichibu)areaにある、柴原(shibahara)鉱泉の温泉(鉱泉)旅館に宿泊しました。柴原(shibahara)鉱泉は、前から、ちょっと気になっていて、一度、宿泊して、鉱泉(温泉)に入ってみたいなと思っていた場所です。この時、秩父(chichibu)を訪れた目的は、柴原(shibahara)鉱泉の、温泉(鉱泉)旅館に宿泊する事にありました。
柴原(shibahara)鉱泉は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての歴史は、古く、400年以上の歴史がある様です(柴原(shibahara)鉱泉の源泉の井戸(現在も、柴原(shibahara)鉱泉で営業している、二軒の温泉(鉱泉)旅館で使用している様です)の歴史は、鉱泉(温泉)保養地(湯治場)としての柴原(shibahara)鉱泉の歴史よりも、さらに古く、10世紀から14世紀初め頃に掘られたと言われています)。歴史的に、世帯数は、少なく、常時、鉱泉(温泉)施設・鉱泉(温泉)宿泊施設を含めて、7世帯以下位だった様です。柴原(shibahara)鉱泉は、(特に、現在は)交通の便は、あまり不便ではありませんが、山奥にあると言った感じで、隠れ家的な、鉱泉(温泉)保養地と言った雰囲気は、十分です。
写真以下17枚。この時、私達が、柴原(shibahara)鉱泉で宿泊した温泉(鉱泉)旅館。この、温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟している鉱泉(温泉)旅館です。秘湯(hitou)とは(説明は、wiki等を参考にしました)、主に山奥等の交通の便が悪い、辺鄙な場所に存在する、ひっそりとした、人に知られていない(または、常連客が、他人に知らせたくない)、素朴で、鄙びた温泉旅館・温泉民宿等の温泉宿泊施設(又は温泉地)の事を言います。日本には、もちろん、普通の温泉旅館が、非常に多いですが、秘湯(hitou)と呼ばれる、又は、秘湯(hitou)と呼べる、温泉(又は鉱泉)宿泊施設も、結構たくさんあります。もっとも、この温泉旅館は、秘湯(hitou)と呼ぶには、少し洗練され過ぎている様に思いました(ちなみに、個人的には、この温泉旅館に関しては、その事が、悪い評価に繋がる事は、全く有りません。。。)。秘湯(hitou)と言えば、むしろ、柴原(shibahara)鉱泉で、現在営業している、もう一つの温泉(鉱泉)旅館の方が、どちらかと言えば、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟するのに、ふさわしい宿泊施設の様な気がします(その温泉(鉱泉)旅館は、日本秘湯(hitou)を守る会に加盟していません)。
この温泉(鉱泉)旅館は、中級classの温泉旅館であり、中級classの温泉旅館の中では、比較的安い温泉旅館です。客室数は、10室程度と少なく、静かで、落ち着いた温泉旅館です。この温泉旅館は、個人的に、温泉(鉱泉)風呂、食事を中心とした、総合的な、満足度は、かなり高かったです。個人的に、お気に入りの温泉旅館と、十分なり得る温泉旅館なのですが、秩父(chichibu)は、少し飽きていて、今は、頻繁に訪れる程の魅力を感じる場所ではないので、今後、お気に入りの旅館になるかについては、微妙と言った感じです。
この温泉(鉱泉)旅館は、ロビー(lobby)や廊下、温泉風呂等、建物と施設に、ふんだんに、榧の木が使われている事が特徴となっています。


客室に置いてあった、サービスの(無料の)、お菓子。
写真以下7枚。この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂の例。この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂(おそらく、源泉かけ流しです)は、男女別の共同風呂で、二つの共同温泉(鉱泉)風呂があって、時間によって、男用共同温泉風呂と女用共同温泉風呂が入れ替わります。







この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、榧の木で作られている事が特徴で、良い香りがして、心地良かったです。この温泉(鉱泉)旅館の、温泉(鉱泉)風呂は、雰囲気も良く、湯は、優しい感じで、入浴していて、気持ちが、とても安らぐ温泉(鉱泉)風呂でした。
この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食も、朝食も、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式)でした。
この温泉(鉱泉)旅館の食事は、夕食、朝食共に、地元で採れた食材を、最大限に活かした食事でした。全般的に、美味しく、満足感の高い食事でした(唯一の、ちょっとした不満は、朝食の、おかずの量と内容が、少し寂しかった事かな。。。)。
写真以下8枚。この時、食べた、この旅館の夕食(この日の、夕食)等。

この時、私は、飲み物は、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、最初の、1杯(1本)は、秩父(chichibu)ビール(温泉に入って喉が渇いていたので、一気飲みと言った感じで、あっと言う間に飲んでしまいました)を飲み、それ以外は、ひたすら日本酒を飲んだのですが、 これは、私が、この時に飲んだ、日本酒の一つで、矢尾(yao)本店(1749年創業の、秩父(chichibu)市の日本酒の会社。秩父錦(chichibu nishiki)と言うブランド(銘柄)で、日本酒を製造している)の、「秩父(chichibu)米」と言う日本酒。
写真以下6枚。この時、食べた、この旅館の夕食(この日の、夕食)の一部。全て、一人一皿ずつです。

地元の食材を活かした、様々な前菜。左から。。。抹茶(green tea)豆腐。行者ニンニク、おろし和え。山蕗の田舎煮。百合根茶巾絞り。マタタビの、お浸し。

新じゃがいも(収穫したての、しゃがいも(potato))、トマト(tomato)。

鱒(美雪鱒)の刺身。

筍寿司。

お吸い物。筍、すり流し。

鮎の、塩焼き。
写真以下11枚。翌日(この時の2日目)に訪れた、秩父(chichibu)area周辺の、長瀞(nagatoro)渓谷。長瀞(nagatoro)渓谷は、風光明媚な(景色が美しい)渓谷で、東京近郊の、気軽な観光地の一つとなっています。











以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
写真以下。前に行った投稿から抜粋して来た物で、秩父(chichibu)の芝桜。彼女と日帰りで、デート(date)で、秩父(chichibu)の芝桜を見に行った時の物です。秩父(chichibu)は、芝桜の名所となっています。
向こうに見える山は、武甲(bukou)山。武甲(bukou)山は、標高は、1,304mと、それ程、高くはありませんが、秩父(chichibu)の市街地の近くにあり、山の形も、特徴的である事等から、その存在感は、大きく、秩父(chichibu)を象徴する山と言った感じとなっています。武甲(bukou)山は、良質な石灰岩で出来た山であり、日本有数の良質な石灰岩の産地である事から、古くから、石灰岩の採掘が行われており(特に、近代以降は、セメント(cement)の原料として、大規模な採掘が行われており)、その影響で、山肌(山の表面)や、山の形が、さらに特徴的な物となっています。