基本的に、2014年の8月の前半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2014年の8月の前半の投稿を前提としています)、2014年の6月の前半に、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、車で、湘南(syonan)に遊びに行って来た時の物です(ちなみに、当時、私は、まだ30代の後期、彼女は、まだ20歳の大学生でした)。
6月の前半、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、湘南(syonan)をdriveして来た(自動車で、湘南(syonan)方面に、遊びに行った)時の物です。この日は、主に、平塚(hiratsuka)を訪れました。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach
resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。
この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから、出発しました。
この日は、まず、平塚(hiratsuka)市美術館を訪れ、平塚(hiratsuka)市美術館で、この時行われていた、袴田
京太郎(hakamata kyotaro)と、石田 徹也(ishida
tetsuya)の、展覧会(exhibition)を見ました。この日、平塚(hiratsuka)を訪れた、主目的は、この展覧会(exhibition)を見る事にありました。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。平塚(hiratsuka)、平塚(hiratsuka)市美術館、この時、見て来た、平塚(hiratsuka)市美術館で、この時、行われていた、展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
平塚散歩前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3923714?&sfl=membername&stx=nnemon2
平塚(hiratsuka)市美術館で、展覧会(exhibition)を見た後は、ビーチ(beach)(海岸)に出て、のんびりとしても良かったのですが、結局、前から、ほんの少し気になっていた(私は、古い建物に興味があります)、平塚(hiratsuka)の市街地の公園内にある、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物を訪れました。
以下、平塚(hiratsuka)等に関する説明は、wikiや、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama Tire)の、古い西洋式の建物の展示解説等を参考にしました(断片的な情報を、軽く集めた物なので、間違っていたら済みません。。。)。
平塚(hiratsuka)市は、現在においては、その様なイメージは、あまり強くないですが(平塚(hiratsuka)は、現在は、湘南(syonan)の一地域と言うイメージが、一般的だと思います)、20世紀初頭に(20世紀の初めに)、軍需工場が設置された事を、きっかけに(軍需工場が設置された事を、きっかけに、民間の産業の企業の工場も、集まって来た)発展した、重要な、工業都市(軽工業・機械工業都市)と言う性格を有する都市でもあります。
日露戦争(1904年から1905年にかけて行われた、日本と、ロシア(Russia)との間の戦争。日本が、実質的に勝利した)後、日英同盟(1902年に、日本とイギリスとの間で結ばれた、対等な、軍事同盟。1923年に失効。第一次世界大戦までの間、日本の外交政策の基盤となった)に基づき、イギリスとの技術提携(イギリスからの技術協力)により、1905年に、日本海軍と、イギリスの火薬製造会社、三社の合弁により、火薬製造会社(おそらく、日本の国策会社的な会社)が設立され(ちなみに、日露戦争(1904年から1905年にかけて行われた、日本と、ロシア(Russia)との間の戦争)までは、日本は、軍事用の大砲用の無煙火薬は、主として、イギリスからの輸入に依存していました)、その会社の工場が、1906年に、平塚(hiratsuka)市に建設されました(敷地面積38万坪(約126ha)、後に、42万坪(約139ha)に拡大。おそらく、当時、アジアにおいて、最新の、且つ、最大の、火薬工場であったと思います)。
以下で、紹介する、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物は、その工場の敷地内に、その工場で、技術指導・製造管理をしていた、イギリス人技術者達(おそらく、その工場の敷地内にあった、社宅(会社が、従業員や役員の為に、提供する住宅)に暮らしていた)の、社交・娯楽の為の建物として、1912年に建てられた物です。その後、1919年に、その会社及び工場は、日本海軍に買収され、その工場は、日本海軍の火薬製造工場となりました。それに伴い、イギリス人技術者達が去った後の?、その工場の、この、古い西洋式の建物(旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物)は、日本海軍の将校達を接待する施設、日本海軍の将校達の、社交・娯楽の施設として使われる様になりました。
軍需工場を有する、重要な工業都市であった平塚(hiratsuka)は、第二次世界大戦末期(1945年)において、アメリカ軍の空襲の、重要な標的となり、(東京・横浜の)近郊都市・衛星都市であるのにもかかわらず、(東京都心や横浜の都心と変わらない位)、非常に大きな空襲の被害を受けましたが、当然、その、日本海軍の火薬工場も標的となり、壊滅的な被害を受けました(その製造施設の建物は、ほとんど完璧に破壊されました。おそらく。。。)。
1945年に、日本の敗戦により、第二次世界大戦が、終わると、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場は、アメリカ軍により接収されました。
1950年、アメリカ軍の接収が解除されると、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の敷地は、横浜ゴム(Yokohama
Tire)(下の補足説明参照)が買収し、1945年のアメリカ軍の空襲により壊滅的な被害を受けた、同社(横浜ゴム(Yokohama
Tire))の、横浜の工場(横浜ゴム(Yokohama
Tire)の中心的な工場であった)の代わりの工場として、製造設備の建設・整備を行い、使用する様になりました(それに伴って、同社(横浜ゴム(Yokohama
Tire))の、横浜の工場は、1952年に閉鎖されました)。
横浜ゴム(Yokohama
Tire):神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の横浜発祥の会社(1917年設立)。日本有数の(日本第3位の)、自動車等の、タイヤ(tire)の製造会社であると共に、世界有数の、自動車等の、タイヤ(tire)の製造会社。タイヤ(tire)会社の規模としては、Hankook
Tire(韓国最大のタイヤ(tire)会社。1960年代に、横浜ゴム(Yokohama Tire)と技術提携をしていた様です)と同じ位。
1950年から1955年頃、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の敷地が、横浜ゴム(Yokohama
Tire)に買収された頃の、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の敷地の事務所関連の建物周辺(おそらく。。。)の写真(旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物の展示より。。。)。写真左端に、以下の写真の建物である、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物が写っています。前述の通り、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場は、第二次世界大戦末期(1945年)のアメリカ軍の空襲により、工場の敷地内の製造施設の建物は、ほとんど完璧に破壊されましたが、写真を見る限り、工場の事務所関連の建物(おそらく、写真の下半分の、大きな建物が、事務所)は、空襲(爆撃)により、破壊されないで、残った様です(横浜ゴム(Yokohama
Tire)は、おそらく、これ等、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の、事務所関連の建物は、しばらくの間(ある程度、長い間)、横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、平塚(hiratsuka)の工場の事務所の建物として、使用していたのではないでしょうか。。。)。第二次世界大戦後、間も無くから、1950年代初め頃まで、アメリカ軍は、日本の、都市部(特に、東京圏)を中心に、非常に多くの建物を接収していましたが、アメリカ軍は、日本国内の建物に関する詳細な情報を入手し、第二次世界大戦において、日本の空襲を計画するに当たって、日本の敗戦後、接収して使えそうな建物は、空襲(爆撃)の標的から外したと言う話を聞いた事があります(さすが、アメリカ。。。余裕と言うか、恐ろしいと言うか。。。)。もしかしたら、それにより、アメリカ軍は、空爆により、その、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の、製造施設の建物は、ほとんど完璧に破壊したものの(アメリカを倒す為の兵器(火薬)を製造する設備なのだから、当然。。。)、事務所関連の建物は、破壊しないで、残したのかもしれません(実際、当時の、爆撃の精度が、そこまで高かったのかどうか分からないですし、私は、その様な、軍事関連の知識はないので、間違っていたら申し訳ありませんが。。。)。ちなみに、前述の通り、アメリカ軍は、第二次世界大戦後、間も無く、日本の、都市部(特に、東京圏)を中心に、非常に多くの建物を接収しましたが、1952年に、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme
Commander of the Allied
Powers)(下の補足説明参照)が、活動を停止した事等に伴い、1950年代初め頃までに、ほとんどの接収を解除しました。
連合国軍最高司令官総司令部(Supreme
Commander of the Allied
Powers):日本において占領政策を実施した連合国軍の機関。1952年、サンフランシスコ(San Francisco)平和条約(Treaty
of Peace with
Japan。日本と連合国との間の「戦争状態」の正式な終結、連合国による、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権の、正式な承認(日本国民の主権の回復)等を要旨とした条約)の発効とともに、活動を停止。第二次世界大戦直後の混乱が、納まった頃の1952年、サンフランシスコ(San
Francisco)平和条約(Treaty of Peace with
Japan)により、日本は、連合国(第二次世界大戦の戦勝国)により、完全な独立国と認められ、再び、完全な独立国としての道を歩き始めました。まあ、現代文化的には、日本は、今でも、アメリカの植民地みたいな物ですが。。。w(まあ、それは、ヨーロッパの国々、(日本以外の)アジアの国々、中米及び南米の国々、その他の地域の国々(カナダなんて、現代文化において、ほぼ、アメリカと一体化していると言った感じですw)、世界中、どこでも、同じ状況だと思いますw)。
写真以下19枚。横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、平塚(hiratsuka)の工場(旧(かつての)日本海軍の、平塚(hiratsuka)の火薬工場の敷地の跡地に建てられた)の敷地内にあった、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物(以下、この建物と言います)。この建物は、1912年に建てられた物です(この建物が建てられた経緯に関しては、上の説明参照)。横浜ゴム(Yokohama
Tire)は、1950年に、平塚(hiratsuka)の、旧(かつての)日本海軍の火薬工場の買収し、製造設備の建設・整備を行い、横浜ゴム(Yokohama
Tire)の工場としてから、(同敷地内にあった)この建物は、長い間に渡って、同工場の、接待・会議・社交等の建物として使用して来ました。横浜ゴム(Yokohama
Tire)は、平塚(hiratsuka)の工場の建物を時代に合せて、建て替えて来ましたが、その様な中で、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京圏(特に、東京中心部、東京圏西部、東京圏南部)が、非常に大きな被害を受けた)と、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍による、激しい空襲でも生き残った、この建物だけは、建て替えられずに、残されて来ました(横浜ゴム(Yokohama
Tire)は、意図的に、この建物を残したのか、それとも、偶然、建て替えられずに残ったのかは、分かりません)。しかしながら、横浜ゴム(Yokohama
Tire)は、老朽化等を理由に、2001年に、この建物を、取り壊す許可を、平塚(hiratsuka)市に、申請しました。これに対し、建物を保存したい、平塚(hiratsuka)市側の意向等により、平塚(hiratsuka)市は、横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、平塚(hiratsuka)の工場から、この建物の無償贈与を受けました(平塚(hiratsuka)市は、横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、平塚(hiratsuka)の工場から、この建物を、無償で、譲り受けました)。それに伴い、この建物は、横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、平塚(hiratsuka)の工場から、平塚(hiratsuka)の市街地の公園内に移築され、保存される事となりました。この建物は、現在は、地元の住民達の、会議・社交・催し等の施設として利用されると共に、一般に開放され、無料で、見学が出来る様になっています。
写真以下19枚。平塚(hiratsuka)の市街地の公園内に移築された、この建物(旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama
Tire)の、古い西洋式の建物)。1912年に建てられた物です。規模的には、あまり大きくなく(やや大きな、個人の、一戸建て住宅位。床面積は、60坪(約198平方m)から70坪位(約231平方m)かな。。。)、建物自体の歴史的な価値も、それ程、高い物ではないと思いますが(世界的に見れば、尚更。。。)、日本の産業化遺産(下の補足説明参照)としての、歴史的価値はある建物だと思います。
日本の産業化遺産:日本は、ヨーロッパの国々に比べて、(一般的に)100年から20年程度遅れて、19世紀後期から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ先進国・アメリカから技術を取り入れる事により、急速に、産業化(工業化)を果たしました。
写真以下4枚。平塚(hiratsuka)の市街地の公園の、旧(かつての)横浜ゴム(Yokohama Tire)の、古い西洋式の建物を見学した後は、彼女が、アイスクリーム(ice cream)を食べたいと言い出し、私も、まんざらではなかったので(アイスクリーム(ice cream)を食べたくないと言う気分ではなかったので。。。まあ、いつでも、アイスクリーム(ice cream)を食べたくないと言う気分ではないのですが。。。w)、31アイスクリーム(Baskin-Robbins)の、平塚(hiratsuka)の店舗の一つに、移動し、アイスクリーム(ice cream)を食べました。Baskin-Robbins(日本では、31アイスクリームとして知られている)は、1974年に、日本に進出し、日本全国に、多くの店舗を展開しています。
写真以下4枚。31アイスクリーム(Baskin-Robbins)の、平塚(hiratsuka)の店舗の一つで、この時、食べた、アイスクリーム(ice cream)。
奥は、(食べている途中に撮影した物ですが)、この時、彼女が食べた物で、3種類の、小さな、アイスクリーム(ice
cream)の組み合わせ。ココナッツ(coconut)のアイスクリーム(ice
cream)に、パイナップル(pineapple)のシャーベット(sorbet)、パッションフルーツ(passion
fruit)のシャーベット(sorbet)、ココナッツ(coconut)風味のカシューナッツ(cashew
nut)を加えた、アイスクリーム(ice cream)(このアイスクリーム(ice
cream)は、美味しいです)。ブラジルの国旗をイメージした、三色のシャーベット(sorbet)(この時、丁度、ブラジルの、ワールドカップ(2014
FIFA World Cup)が始まる直前でした)。コーヒー(coffee)のアイスクリーム(ice
cream)に、アーモンド(almond)、チョコレートが、加わった、アイスクリーム(ice cream)。手前は、この時、私が食べた物。
写真以下3枚。この時、私が食べた物。チーズケーキ(cheesecake)と、2種類の、アイスクリーム(ice
cream)の組み合わせ。ブラジルの国旗をイメージした、三色のシャーベット(sorbet)(キーウィ(kiwifruit)、レモン(lemon)、ブルーラズベリー(blue
raspberry))。アールグレイ(Earl Grey)紅茶風味のアイスクリーム(ice
cream)に、キャラメル(caramel)のソース(sauce)と、スコーン(scone)が入った、アイスクリーム(ice
cream)(美味しいです)。
食べている途中。。。
31アイスクリーム(Baskin-Robbins)の、平塚(hiratsuka)の店舗の一つで、アイスクリーム(ice
cream)を食べた後は、(平塚(hiratsuka)の隣の)茅ヶ崎(chigasaki)に移動し、前から、ちょっと気になっていて、一度、利用したいと思っていた、湘南(syonan)の茅ヶ崎(chigasaki)の、海沿いの、ハワイ(Hawaii)料理・創作料理レストランで、夕食を食べてから帰りました。
写真以下4枚は、おまけで、参考に、前にenjoyで、アップ(upload)した写真の再利用。茅ヶ崎(chigasaki)のビーチ(beach)。そう言えば、この日は、湘南(syonan)areaを、訪れたにもかかわらず、まともに、海の景色を味わいませんでした。まあ、この日、夕食を食べたレストランは、海の景色を見ながら、食事を楽しめますが、そのレストランに着いた時は、(夜で)既に、暗くなっていました。。。。


右側に見える、高い山は、富士山(fujisan)。富士山(標高3,776m)は、東京圏(東京area)の近くにある、日本一高い山で、その形の美しさから、世界的に、名が知られている山です。


写真以下8枚。この、茅ヶ崎(chigasaki)の、海沿いの、ハワイ(Hawaii)料理・創作料理レストランで食べた、この日の夕食等。
この時、私が飲んだ、飲み物の一つ。冷たい、ココナッツ(coconut)モミティー(momi tea・bubble tea)。この時、自動車だったので、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、飲みませんでした。
写真以下7枚。このレストランで食べた、この日の夕食。全て、二人で分けて食べました。
写真以下2枚。サラダ(salad)。マンゴー(mango)、アボカド(avocado)、生ハム(ham)に、パイナップル(pineapple)とココナッツ(coconut)等のドレッシング(dressing)を合わせた、野菜サラダ(salad)。
ココナッツ(coconut)シュリンプ(shrimp)(海老)。
写真以下2枚。豚肉のステーキ(beef steak)、マンゴー(mango)、マスタード(mustard)ソース(sauce)。
写真以下2枚。フレンチトースト(french toast)。
このレストランは、この時、初めて利用しましたが、食事の味は、全般的には、お気に入りのレストランとしたい程の味では、全くありませんでした(ただし、豚肉のステーキ(beef
steak))は、美味しかった)。まあ、今後、たまにから、時々、利用する店としては、良いかなと言った感じです。。。
写真以下。適当に、おまけ。。。
湘南(syonan)の、平塚(hiratsuka)の肉店・肉会社の、相模(sagami)豚(神奈川(kanagawa)県(下の補足説明参照)産の高品質な豚肉)の豚肉と、ジャガイモ(potato)の、コロッケ。我が家で食べる、夕食用。
神奈川(kanagawa)県:東京圏南部を占める県。横浜や、湘南(syonan)areaも、含まれる。ちなみに、相模(sagami)は、神奈川(kanagawa)県の、古い、呼び名。
自宅に持ち込んだ仕事を、夜、遅くまでしている時の夜食として、よく食べている、マートの、非常にチープな(とても、安い)、ピザ(pizza)。ただし、(写真右側の、4種類のチーズ(cheese)のピザ(pizza)は、夜食として、よく食べていますが)、写真左側の、テリヤキ(teriyaki)チキン(chicken)のピザ(pizza)は、初めて食べましたが、不味かったです(もう、2度と買わなくていいかな。。。)。