4月の第一土曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、小金井(koganei)公園に桜の花を見に行った後、小金井(koganei)公園内にある、江戸(edo)東京建物園を訪れた時の物です。
この前日(4月の第一金曜日)は、私も彼女も、個人的に休みで、前の日に我が家に泊まった彼女と、日帰りで、遊びに出掛けて来ました。
この前日の事に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
国立建築資料館 Expo展前期→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943870/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
上野公園桜2025他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943869/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
上野公園桜2025他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3943868/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、上でリンクを付けた投稿の関連投稿。
国立建築資料館 Expo展後期他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3958682?&sfl=membername&stx=nnemon2
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、(夜更かしをし、朝寝坊をし)、遅い朝食兼昼食(内容は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と同じでした)を食べた後、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)を出ました。ちなみに、この日は、2人共(私も彼女も)、歩き易い靴で出掛けました。
この日は、公共交通を使って、小金井(koganei)公園を訪れました。
小金井(koganei)公園は、東京都心部から近くもなければ、遠くもない、中間位の距離にある、東京の西部郊外に位置している、広い公園です。
桜の花は、おそらく、日本人に、最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(emblem)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です(日本には、法定上の国花はありませんが、桜の花は、(菊と共に)慣習上の国花として、昔から、国民達に親しまれて来ました)。日本には、所々に、桜の木が植えられており、春には、日本各地で、所々で、桜の花が咲きます。花見(hanami)は、野外で、桜の花を見ながら、酒を飲んだり、食事をしたりする事です。花見(hanami)は、伝統的に、桜の花の時期の、日本人の娯楽となっています。
小金井(koganei)公園は、東京で、桜の花見(hanami)の場所として人気がある公園の一つです。小金井(koganei)公園で、花見(hanami)を楽しむ人々は、主に、東京の西部郊外に暮らす人々です。
この日は、私達は、小金井(koganei)公園で、桜の花を見ながら散歩をすると言う意味での、桜の花見(hanami)を楽しみました。この時、小金井(koganei)公園の桜の花は、(見頃の最盛期までは、あと少しと言った感じでしたが)、見頃でした。
以下、以下の投稿の続きです。小金井(koganei)公園、及び、小金井(koganei)公園の、桜の花に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
小金井公園桜2025前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964859?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井公園桜2025後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964858?&sfl=membername&stx=nnemon2
小金井(koganei)公園で、桜の花を見ながら散歩をすると言う意味での、桜の花見(hanami)を楽しんだ後は、江戸(edo)東京建物園を訪れました。江戸(edo)東京建物園は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、公立の、博物館の一つで、1993年に開館した、第2次世界大戦前の(一部、例外があり)、東京中心部及び、東京郊外の、住宅や店舗等の建物が、移築、保存されている、小金井(koganei)公園の敷地内に位置している、野外博物館です。
ちなみに、小金井(koganei)公園は、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が、運営している(管理・整備を行っている)、都市公園の一つです。
江戸(edo)東京建物園の入口付近。右側の建物は、元々、1940年に、東京都心で行われた、日本の、建国に関する国家行事に使われる為に建設された建物で、その国家行事に使われた後、翌年の、1941年に、小金井(koganei)公園に移築された建物で、江戸(edo)東京建物園が開館する前から、元々、小金井(koganei)公園にあった建物です。江戸(edo)東京建物園の開園後は、江戸(edo)東京建物園の、ビジターセンター(visitor center)及び、土産物等を売る売店の建物として使用されています。左側の建物は、江戸(edo)東京建物園のビジターセンター(visitor center)の建物(前述の通り、元々、1940年に建てられた建物を移築した物)に増築された建物で、江戸(edo)東京建物園の、屋内展示室の建物です。
江戸(edo)東京博物館は、東京中心部(東京23区)の東部(東京の下町(旧市街))にある、1993年に開館した、東京都(日本の47の都道府県(prefecture)の一つ。主として、東京中心部(東京23区)と、東京の西部郊外・近郊から成る)が運営する、規模の大きな、東京の歴史に関する博物館です。江戸(edo)東京博物館は、現在(2022年から2026年の春まで)、改修工事の為に、閉館中(休館中)です(元々、2025年まで休館の予定であった様ですが、休館の期間が、2026年の春まで延びた様です)。
ちなみに、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。大阪と共に、関西(kansai)大都市圏(東京圏に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する大都市圏)を構成する)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市であり、大阪都市圏の堺(sakai)市は、15世紀後期から17世紀初期にかけて、貿易都市として繁栄していました。また、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)は、16世紀後期から、日本の、商業・物流の中心都市として発展して来ました。
これに対し、東京は、16世紀までは、田舎の、のどかな、農村又は自然地帯で、東京(昔(19世紀中期以前)は、江戸(edo)と呼ばれていた)の、大都市と言うか都市としての歴史は、17世紀からで、東京は、日本の長い歴史の中においては、歴史の短い都市です。
江戸(edo)東京建物園は、江戸(edo)東京博物館の姉妹博物館です。
この投稿は、以下の(すぐ下でリンクを付けた)、2つの投稿と合わせて、ご覧下さい。
東京都美術館 出張江戸博前編(江戸(edo)東京博物館に関しては、この投稿を参照して下さい)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3924661/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
太田記念美術館 江戸の食事展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3916921/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2
この時、江戸(edo)東京建物園の屋内展示室では、特集展示として、現在休館中の、江戸(edo)東京博物館の収蔵品の中から、東京の食べ物・食事の歴史に関する展示(以下、この特集展示と書きます)が行われていました。
写真以下。この特集展示の、展示品の例(途中、八百善(yaozen)を描いた、歌川 広重(utagawa hiroshige)の、1840年頃の浮世絵(ukiyoe)作品を除く)。
料理早指南大全(ryourihayashinantaizen)(1801年)。料理早指南大全(ryourihayashinantaizen)は、1801年に初版が、発刊され、1編、1冊ずつ、順次、刊行された、東京で、出版された、様々な料理の調理法を網羅した、日本料理の、レシピ(調理法)本です。
八百善(yaozen)は、1717年に、東京の浅草(asakusa)(東京都心部の東部(北東部)に位置する。上野(ueno)(同じく、東京都心部の北東部に位置する)と共に、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街)の周辺で、創業した、日本料理食堂・日本料理の料理教室等を運営する会社です。元々、八百屋(野菜・果物等を売る店)として創業しましたが、周辺に仏教の寺が多かった事から、仏教の寺に料理を提供する様になった事をきっかけに料理が評判を呼び、高級日本料理食堂となりました。
八百善(yaozen)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の東京において、最も成功した、高級日本料理食堂の一つと言われています。
1822年に出版された、八百善(yaozen)の、四季の料理のメニュー(menu)とレシピ(調理法)、その心得が記された、料理本です。「八百善(yaozen)は、客の要望を重視し、値段を度外視した料理を出した事が、当時の東京の、富裕層や文人(文化人・作家・学者等)に受け入れられ、高級日本料理食堂として、発展して行きました。」(基本的に、展示の解説文より)。
歌川 広重(utagawa hiroshige)(1797年生まれ。1858年に亡くなる)は、日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家の一人です。
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3806140/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2

写真は、借り物。八百善(yaozen)を描いた、1840年頃の、歌川広重(utagawa hiroshige)の、浮世絵(ukiyoe)作品です。
洗練された、日本料理の、本場であり、中心都市は、昔も今も、京都(kyoto)ですが、八百善(yaozen)は、東京における、洗練された日本料理の発展に、大きな影響を与えました。
台東(taito)区は、東京中心部(東京23区)の東部(下町。旧市街)にある区の一つです。東京中心部(東京23区)の東部(下町。旧市街)最大の繁華街である、浅草(asakusa)と上野(ueno)(何れも、東京都心部の北東部に位置する)は、何れも、台東(taito)区に位置しています。
江戸(edo)時代の中期から後期頃(18世紀から19世紀半ば頃)に出版された、東京の料理店の、番付(順位)表(ちなみ、東と西に分けられていますが、東と西は、この番付(順位)表においては、地理的な分類ではない様です。この番付(順位)表における、東と西の分類基準は、ちょっと不明)。勧進元(主催者)の一つとして、前述した、八百善(yaozen)が挙げられています。東の1位は、台東(taito)区の北部の、竜泉(ryusen)地区にあった、仕出し料理(富裕層の個人の住宅や仏教の寺等に提供する(届ける)料理)で有名であった、田川屋(tagawaya)と言う料理店。西の1位は、台東(taito)区の北東端部の、橋場(hashiba)areaにあった、川口(kawaguchi)と言う、高級日本料理食堂となっています。「橋場(hashiba)areaは、当時、隅田(sumida)川(東京を流れる川の一つ)沿いの風流な場所として、地方領主や、金持ちの商人の、別荘も多く、高級日本料理食堂も、数多く(たくさん)ありました。」(基本的に、展示の解説文より)。
ちなみに、すぐ上の写真の、番付(順位)表は、高級な料理店の、番付(順位)表ですが、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、東京において、庶民や、一人暮らしの、侍(samurai)階級の男性の為の、寿司、蕎麦、天麩羅等のファーストフード(fast
food)が、発達し(日本料理における、握り寿司(所謂、世界的に、一般的に知られている、日本の寿司)、天麩羅は、元々、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京において、屋台の、ファーストフード(fast
food)として、発展・流行した食べ物です)、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、これ等の、ファーストフード(fast
food)を提供する屋台が、東京には、たくさん(所々に)、存在しました。
東京の名物の、菓子や菓子店、20種類を巡る、双六(sugoroku)(board game)。1843年から1847年頃。
1817年に、東京で行われた、酒を飲む量と食べる量の、多さを競う、競技会の様子を記録した作品を、模写した作品です(1908年)。この大会の記録は、お酒の部門で1位になった人は、日本酒を、10.8L、お菓子部門で1位になった人は、饅頭(日本の、大衆的な伝統菓子。中に、甘い、小豆の餡が入っている)を50個、羊羹(yokan)(日本の伝統菓子の一つ)を7本、薄皮餅(間違っていたら申し訳ありませんが、おそらく、饅頭(日本の、大衆的な伝統菓子)の一種)を30個食べたと言います。
以下、「」内。基本的に、展示の解説文より。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京圏で行われていた、酒を飲む量と食べる量の、多さを競う、競技会に関する解説です。
「酒を飲む量を競う、競技会は、1649年に、現在の、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の、川崎(kawasaki)市に該当する地域で、行われたものが知られている。その、ずっと後の、1815年に、足立(adachi)区(東京中心部(東京23区)の東部(下町・旧市街)に位置する区で、東京中心部(東京23区)の北東端部に位置する区)の、北千住(kitasenjyu)・千住(senjyu)areaで開催された、酒を飲む量を競う、競技会が評判となった。
1817年に、東京都心部の東部(下町(旧市街))の、両国(ryougoku)・浅草橋(asakusabashi)areaで、酒を飲む量と食べる量の、多さを競う、競技会が開催された。参加者の得意とする、食べ物ごとに、分かれて、その飲む量・食べる量を競う物で、酒の他に、菓子・飯(rice)・鰻・蕎麦等が用意された。その種類の多さと、それぞれの量の多さから、その真偽が、疑われた程だったと言う。この時期、日本では、東京に限らず、地方でも、この様な、酒を飲む量と食べる量の、多さを競う、競技会が開催されていた様で、中には、健康を害するまで、食べる人もいたと言う。」
龍土軒(ryudoken)の包装紙(1900年代から1910年代初め頃?)。東京都心部の中でも中心的な地域の西南部にある、フランス料理レストラン、龍土軒(ryudoken)は、1900年に開業した、東京で、最も初期の頃に開業した、フランス料理レストランの一つで、現在も、フランス料理レストランとして営業を続けています。
これは、東京(東京圏)に限った、展示物ではありませんが、「料理の友」の、1915年の2月号。「料理の友」は、1913年に創刊された、日本の、中流家庭の主婦を中心とした女性向けの、料理のレシピ(調理法)の、月刊、雑誌です。途中、第二次世界大戦の影響で、1944年頃に休刊しますが、1952年から発行を再開し、1962年頃まで、発行され続けました。
「料理の友」は、女学校(第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘が通った、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学と高校に当たる)の学生等も、読者として想定していた様です。
以下、「」内。「料理の友」の説明。基本的に、展示の解説文より。
「日本料理・西洋料理・中国料理を交え、総菜(日々の(毎日の)家庭料理)から、来客用の料理(家に客を招いた時の、客をもてなす為の料理・パーティー(party)料理)まで、幅広く、紹介し、日本の家庭の、日常の、食(食事・料理)への要求に応える、実用雑誌としての役割を果たした。イラストが添えられ、料理の手順を、分かり易くする工夫がなされている。」
「主婦の友」は、1917年から2008年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌(2008年に休刊)です。これも、東京(東京圏)に限った、展示物ではありませんが、「主婦の友」の、1932年7月号の、付録(おまけ)で、「お総菜(日々の(毎日の)家庭料理)向きの、洋食(yoshoku)(日本人好みに、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)の作り方、300種」。
「主婦の友」に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
旧「主婦の友」社の本社ビル他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3929215/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧「主婦の友」社の本社ビル他(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_16/view/id/3929215/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京の、レストラン・食堂の、古い、マッチ箱(matchbox)・ブックマッチ (matchbook)の、ラベル(包装)。以下、各、レストラン・食堂の解説は、展示の解説文等を参考にしました。
一番上の列の左、「オリムピック(Olympics)」(1928年に開店した、銀座(ginza)(東京都心部でも中心的な地域に位置する。東京最大級の繁華街の一つであると共に、東京を代表する繁華街)にあった、洋食(yoshoku)レストラン)。適当に検索して出て来たsiteから、「オリムピック(Olympics)」→
https://www.ginza.jp/column/4890
一番上の列の右、「キャッスル(castle)」(1923年に、丸の内(marunouchi)(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する。東京を代表するビジネス(business)の中心地区)に完成した、初代の丸(maru)ビルの1階で営業していた、洋食(yoshoku)レストラン。東京芸術大学(下の補足説明を参照)の教授・講師達が、このレストランの常連(よく利用している客)であった縁で、1936年から、東京芸術大学の学生食堂を運営する様になった(「キャッスル(castle)」が運営する、東京芸術大学の学生食堂は、2021年に営業を終了)。
東京芸術大学:1887年創立。東京の、日本の、国立の、芸術系の大学。芸術系の大学の中では、日本最高峰の大学で、東京大学・京都(kyoto)大学と共に、日本を代表する、名門大学。上野(ueno)area(東京都心部の北東部に位置する)にある(ちなみに、上野(ueno)areaには、上野(ueno)公園があります。上野(ueno)公園は、東京中心部にある公園の中では、最大級の公園の内の一つであり、また、美術館・博物館等の文化施設が集まっています)。
1923年に完成した、初代の丸(maru)ビル(1920年代から1930年代当時、日本だけでなく、アジアでも、最大級の、オフィス(office)用のビルで、東洋一(アジア一)の、(オフィス(office)用)ビルと呼ばれました)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
丸ビル(歴史のあるビル)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964855?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京大学に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
学士会館(歴史的建造物)他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3864672/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
学士会館(歴史的建造物)他後編(すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3864671/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
上から2番目の列の、一番左。中村屋(nakamuraya)。中村屋(nakamuraya)は、120年以上の歴史を有する、レストラン経営の他、パンや菓子等を、製造・販売する、東京の会社です。中村屋(nakamuraya)は、1901年に、東京の都心部の東京大学の正門前で、小さなパン店として創業しました(当時の、主な利用客は、東京大学の学生や教授、職員だったと思われます)。その後、1909年に、本店を、東京の都心部西部の新宿(東京最大級の繁華街の一つ)に移し、1927年には、新宿の本店に、cafeレストランをopenしました。
中村屋(nakamuraya)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
中村屋(歴史のある食堂・会社)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3964854?&sfl=membername&stx=nnemon2
上から2番目の列の、左から2番目。千疋屋(senbikiya)総本店。千疋屋(senbikiya)総本店は、1834年創業の、東京の、高級果物店・フルーツパーラー(新鮮な果物、新鮮な果物を使ったパフェ(parfait)・デザート(dessert)・ジュース(juice)、ケーキ(cake)等を中心としたメニュー(menu)の、cafe&レストラン)等を経営する会社です。千疋屋(senbikiya)総本店は、1834年に、果物店として創業し、1887年に、フルーツパーラー(新鮮な果物、新鮮な果物を使ったパフェ(parfait)・デザート(dessert)・ジュース(juice)、ケーキ(cake)等を中心としたメニュー(menu)の、cafe&レストラン)を開業しました。千疋屋(senbikiya)総本店の本店は、日本橋(nihonbashi)area(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する。江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地)にあります。
日本橋(nihonbashi)areaに関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本橋 三井記念美術館他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3913021/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
上から2番目の列の、左から3番目(右から2番目)。モナミ(monami)(白十字堂(hakujyujido)(東京都心部に店舗を展開していた、1919年創業の、西洋菓子店)の姉妹店として、1929年に、銀座(ginza)に開店した、洋食(yoshoku)レストラン・カフェ(cafe)。銀座(ginza)の本店は、作家や芸術家等、文化人の利用が多く、後に開店した、新宿と東中野(東nakano)(新宿と中野(nakano)(中野(nakano)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)で最大の繁華街)の間に位置する地域)の支店にも、多くの文化人が集まった様です)。
上から2番目の列の、一番右。高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店(下の補足説明を参照)のレストラン。
高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店:三越(Mitsukoshi)の本店(同じく、日本橋(nihonbashi)areaにある)等と共に、東京を代表する、高級デパートの一つ。日本橋(nihonbashi)area(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)は、江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する一等商業地です。高島屋(takashimaya)デパートは、1831年に、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった大都市であり、日本の伝統文化の中心都市)で創業した、日本のデパートのchainで、本店は、大阪(大阪には、1898年に進出)にあり、東京へは、1922年に進出しました。ちなみに、大阪(日本の西部に位置する。東京に次ぐ、日本、第二の都市圏人口を有する都市。伝統的に、日本の商業の中心都市)にある、高島屋(takashimaya)デパートの本店の、現在の建物(1932年完成)(重厚な近代建築の建物です)は、完成当時、アジア最大のデパートでした。
高島屋(takashimaya)デパート、日本橋(nihonbashi)店に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本橋高島屋(歴史のある文化財デパート)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3519350/page/33?&sfl=membername&stx=nnemon2
三越(Mitsukoshi)の本店に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京の歴史のあるデパート他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3822748/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2
上から3番目の列(下から2番目の列)の左。スエヒロ(suehiro)の銀座(ginza)店。スエヒロ(suehiro)は、1910年に、大阪で創業した、ステーキ(beef
steak)レストラン等を経営する会社です。元々、1910年に、大阪の都心で、洋食(yoshoku)レストランとして開業し、1920年に、大阪の都心で、ステーキ(beef
steak)レストランを開店しました。1933年に、東京に進出し、銀座(ginza)に、ステーキ(beef
steak)レストランを開店しました。
上から3番目の列(下から2番目の列)の中央。聚楽(juraku)(下の補足説明を参照)。
聚楽(juraku):以下、聚楽(juraku)に関しては、wikiを参考にしました。1924年創業の、東京を拠点とした(東京に本社がある)、日本の、レストラン・ホテル等を経営する会社。1924年に、神田(kanda)area(東京都心部の中でも中心的な地域の北部に位置する)に開業した、庶民的・大衆的な、洋食(yoshoku)食堂、須田町(sudacho)食堂が原点。同年に、京橋(kyobashi)area(東京都心部の中でも中心的な地域に位置する。銀座(ginza)と日本橋(nihonbashi)の間に位置する)に支店を出した事を始まりに、食堂をチェーン(chain)展開する様になる。1931年には、東京大学の学生食堂の経営を始める。また、同年(1931年)、東京圏周辺の温泉保養地に温泉旅館を開業し、宿泊施設の経営に進出する。1934年に、聚楽(juraku)と言う社名になり(株式会社
聚楽(juraku)を設立し)、新宿に、地下2階・地上5階建て・延べ約800席の、日本初の食堂デパート、食堂デパート聚楽(juraku)を開業した。1936年には、上野(ueno)に、食堂デパート聚楽(juraku)の上野(ueno)店(延べ約1,000席)を開業。1937年には、浅草(asakusa)に、食堂デパート聚楽(juraku)の浅草(asakusa)店(延べ約1,000席)を開業した。1938年には須田町(sudacho)食堂28店・食堂デパート3店・寮2店・専用食堂15店のレストラン48店舗と温泉旅館2軒の合計50店舗を経営する様になる。その後も出店を続けて、1942年には一般食堂35店舗と専用食堂54店舗の合計89店舗となり、第二次世界大戦中は軍需工場の食堂運営を主力として活動する様になった。第二次世界大戦末期(1945年)の、アメリカ軍の空襲により、大きな被害を受け、食堂の、ほとんどを焼失するが、日本の敗戦により、第二次世界大戦が終わった直後から、食堂・温泉旅館の再建に取り組むと共に、急速な事業の復興を進めた。
上から3番目の列の、右。不二家(fujiya)(1910年に、横浜で、西洋菓子店として創業。1920年代初めに、東京都心部に進出。日本全国に、西洋菓子・ケーキ(cake)店をチェーン(chain)展開する他、大衆的な洋食(yoshoku)レストランのチェーン(chain)展開も行なっている)の、銀座(ginza)店。
不二家(fujiya)は、1910年に、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市であり、東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市。東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町(東京圏を代表する港湾都市))の都心部に開店した、西洋菓子店が始まりで、1914年には、横浜の都心部に、カフェ(cafe)を開店しました。1920年代初めには、東京都心部に進出し、1923年に、銀座(ginza)店(カフェ(cafe)を併設)を開店しました。不二家(fujiya)は、1930年より、銀座(ginza)を含めて、食堂(レストラン)の経営も始めました。
一番下の列の、一番、左。上野(ueno)精養軒(seiyouken)(下の補足説明を参照)。
上野(ueno)精養軒(seiyouken):上野(ueno)の、上野(ueno)公園内にある、1872年まで歴史を遡る事が出来る(元々は、東京都心部の違う場所で、西洋式のホテルとして営業を開始した)、歴史の古い、フランス料理・洋食(yoshoku)レストラン。現在の、上野(ueno)公園内にある、精養軒(seiyouken)の本店(現在の建物は、1960年に建てられた物)は、要人も利用する高級フランス料理レストランと、カジュアル(casual)な、洋食(yoshoku)レストランから成ります。
上野(ueno)精養軒(seiyouken)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
上野精養軒他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3964253?&sfl=membername&stx=nnemon2
一番下の列の、右から2番目。東洋軒(touyouken)(下の補足説明を参照)。
東洋軒(touyouken):1889年創業の、日本の、レストランを運営する会社で、東洋軒(touyouken)(西洋料理・洋食(yoshoku)レストラン)等を運営する会社。1889年に、東京都心部南部に開店した、牛鍋(牛肉鍋)食堂が始まり。1897年に、その牛鍋(牛肉鍋)食堂に隣接して、西洋料理レストラン、東洋軒(touyouken)を開店した。1933年には、日比谷(hibiya)(東京都心部でも中心的な地域に位置する)に進出。
ちなみに、現在の、東洋軒(touyouken)の本店は、三重(mie)県(日本の中西部に位置する県)の、津(tsu)(人口26万人程の都市)の店舗となっており(東洋軒(touyouken)は、1928年に、津(tsu)に進出した)、東洋軒(touyouken)の、現在の、東京の店舗は、赤坂(akasaka)area(東京都心部でも中心的な地域の西部に位置する)にあります。
津(tsu)にある、現在の、東洋軒(touyouken)の本店→
https://touyouken.co.jp/honten/
赤坂(akasaka)area(東京都心部でも中心的な地域の西部に位置する)にある、現在の、東洋軒(touyouken)の、東京の店舗→
https://tokyo-toyoken.com/
一番下の列の、右から3番目(左から2番目)。煉瓦亭(rengatei)(1895年創業の(1895年に開店した)、銀座(ginza)の、洋食(yoshoku)食堂・レストラン。今年で、開業130周年)。
一番下の列の、一番右。須田町(sudacho)食堂(1924年に、神田(kanda)area(東京都心部の中でも中心的な地域の北部に位置する)に開業した、庶民的・大衆的な、洋食(yoshoku)食堂。前述した、聚楽(juraku)の原点となった食堂)。
以下、後から追加した内容です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続きます。
江戸東京建物園2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967338?&sfl=membername&stx=nnemon2