参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より、東京都心部の我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、自動車で、2時間半程の、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の中南部の高原地帯(避暑地)にある、私の別荘に関する話です。
「私の別荘は、比較的裕福な人々が保有する様な、典型的な別荘とは異なり、敷地面積85坪(約280平方m)程の、庭のある、庶民的な、中古の、一戸建て住宅ですが、眺めが良く(窓等からの景色が良く)、そこで過ごしているだけで快適です(1階にある、居間(living
room)で、過ごすのも快適ですし、また、2階にある、寝室(bed
room)の窓からの眺めは(景色は)、素晴らしいです(特に、良いです))。ちなみに、2階の寝室(bedroom)の窓は、広く開くようになっており、山々の眺望が綺麗に見えます。まあ、長野(nagano)県の、私の別荘に滞在中は、周辺の森をハイキング(hiking)・散歩したり、周辺をdriveしたり、何だかんだ言って、出掛ける事が、多いのですが。。。ちなみに、別荘の風呂(bathroom)とトイレ(toilet)は、全取っ替えと言って良い程の、大改装をしており、トイレ(toilet)は、東京の我が家のトイレ(toilet)同様、暖房便座・ウォシュレット付きのトイレ(toilet)で快適です。」
以下、基本的に(参考の投稿を加える等しています)、前に行った投稿から抜粋して来た物で、彼女(私の今の彼女)と、私の長野(nagano)県の別荘に滞在した際に、彼女と、別荘から足を延ばして、松本(matsumoto)に、(別荘に)日帰りで、遊びに訪れた時の物です。
この日、別荘で食べた朝食は、普段、東京の我が家で食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした。
この日は、別荘から、松本(matsumoto)方面に、足を延ばしました。松本(matsumoto)は、長野(nagano)県の中部にある中都市(中規模程度の人口を有する都市)で、長野(nagano)市(長野(nagano)県の北部にある中都市(中規模程度の人口を有する都市))に次いで、長野(nagano)県で、第二の人口を有する都市です。私の別荘がある長野(nagano)県の中南部areaから、北に約25kmから45km程の場所にあります(松本(matsumoto)都市圏は、長野(nagano)県の中南部areaの北部に隣接しています)。
長野(nagano)県には、高い山が、たくさんありますが、松本(matsumoto)は、長野(nagano)市(長野(nagano)県の北部にある中都市(中規模程度の人口を有する都市))と共に、山岳観光の拠点となっている都市です。また、松本(matsumoto)は、伝統的に、文化の振興に力を入れていると共に、長野(nagano)県で、唯一の、国立の大学、信州(shinshu)大学(1873年創立。詳しくないので、間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、長野(nagano)県で、最高峰の大学)が拠点を置く、文化・学問の都市となっています。ちなみに、信州(shinshu)大学の学生に占める、長野(nagano)県出身者の割合は、25%程に過ぎず、信州(shinshu)大学は、日本全国から、学生が学びに来る大学でもあります。長野(nagano)市(長野(nagano)県の北部にある中都市(中規模程度の人口を有する都市)。長野(nagano)県で、最大の人口を有する都市)もそうですが、松本(matsumoto)は、登山、スキー(skiing)、スノーボード(snowboarding)等が、好きならば、大学生活を送るのに、この上ない(最高の)、都市だと思います。松本(matsumoto)は、魅力的な、バー(bar)が、多くある、バー(bar)の都市としても知られています。
「私は、子供の頃から中学生の頃、プラモデルを作るのを趣味としていたのですが、私がプラモデルの世界に入る、きっかけになったのは、私が、まだ幼稚園児の頃、父が、私と一緒に作ろうと、私に買って来た、ロボダッチのプラモデルです。私は、幼い頃から子供の頃、父と一緒に(父と共同作業で)、よくロボダッチの、プラモデルを作っていました。まあ、実質的には、ほとんど、父が作っていた面があるのですが、父は、いつも丁寧に、優しく、私と共同作業で作っている振りをしてくれていました(私の2歳年下の弟は、制作に加わると言うよりも、時々、ちょっかいを出すだけと言った感じでしたw 完成品では、一緒に遊びましたが。。。)。
前述の通り、私は、ロボダッチシリーズから、プラモデルの世界に入って行ったのですが、だんだんと、渋い趣味に走り、小学校高学年から中学生の頃(特に中学生の頃)は、日本の城シリーズのプラモデルや、昔の、おでんの屋台や蕎麦食堂等のプラモデル、昔の農家のプラモデル(草の種を植えると草が生えて来る)等を好んで作りましたw。ちなみに、私は、小学生・中学生・高校生の頃、学校の授業の科目の中で、社会は好きな科目でした。
私は、プラモデルは、高校生になると、ほとんど作らなくなり、大学生からは、全く作らなくなり、現在へ至っています。」
以下、参考の投稿。
弟の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658264/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
私は、小学校高学年か中学生の時(どちらか忘れたw たぶん、小学校高学年の時)、松本(matsumoto)城(castle)のプラモデルも作っています。
この日は、松本(matsumoto)に着いて、まず、松本(matsumoto)城(castle)(松本(matsumoto)城(castle)跡)を、訪れました。
写真以下48枚。松本(matsumoto)の中心地にある、松本(matsumoto)城(castle)(松本(matsumoto)城(castle)跡)。
松本(matsumoto)城(castle)(松本(matsumoto)城(castle)跡)は、封建制時代に、松本(matsumoto)を統治していた、地方領主の城(castle)です(その歴史は、16世紀初めに、遡ると言われています)。
封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)がありました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物である、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと共に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。
松本(matsumoto)城(castle)も例外ではなく、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、城(castle)の建物の、ほとんどが、取り壊されました(なお、松本(matsumoto)を統治していた、地方領主の家は、近代以降、松本(matsumoto)城(castle)は、失いましたが、貴族階級に組み入れられ、子爵となりました)。
現在は、松本(matsumoto)城(castle)の、かつての敷地(面積、約120,000坪(約400,000平方m))の、中心部分が、史跡として、保存されています。松本(matsumoto)城(castle)(松本(matsumoto)城(castle)跡)は、現在は、松本(matsumoto)の市街地の、観光の中心となっています。
写真以下7枚。松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。前述の通り、松本(matsumoto)城(castle)は、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、城(castle)の建物の、ほとんどが、取り壊されました。天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)も、解体されるはずでしたが、地元の有力者達の力により、解体を免れ、保存される事となりました。ちなみに、封建制時代には、日本全国には、非常に多くの、地方領主の城(castle)があると共に、非常に多くの、城(castle)の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)がありましたが、現存する、近代より前に建てられた、日本の城(castle)の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)の建物は、松本(matsumoto)城(castle)の天守閣(tensyukaku)を含み、12しかありません(第二次世界大戦前までは、もう少し、多く残っていたが(20残っていた)、第二次世界大戦末期の、アメリカ軍の空襲により焼失し、12となった)。なお、松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)は、1936年に国宝に指定されました。
写真以下3枚。松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)。現存する、松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)は、1593年から1594年頃に建てられたと考えられています。
写真以下2枚。写真右側、松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)。
写真以下30枚。現存する、12の、近代より前に建てられた、日本の城(castle)の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)の内の一つであり、国宝に指定されている、松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)。現存する、松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)は、1593年から1594年頃に建てられたと考えられています。
写真以下19枚。松本(matsumoto)城(castle)の、天守閣(tensyukaku)の内部。天守閣(tensyukaku)は、基本的に、地方領主が、普段、暮らしている建物ではなく、その外観によって、城(castle)の権威を象徴する建物であると共に、戦争の際に、地方領主と、その軍隊が、最終的に立て篭もって戦う建物である為、内部は、基本的に、無骨で、ある意味、素朴な物となっています(平和な時代には、内部は、物置(物置き場)として使われる事も、少なくなかったようです)。
写真以下3枚。天守閣(tensyukaku)は、戦争の際に、地方領主と、その軍隊が、最終的に立て篭もって戦う建物である為、鉄砲や弓の為の穴が、たくさんあります。
写真以下3枚。古い鉄砲の展示。
写真以下6枚。松本(matsumoto)の中心地の、古い町並みの雰囲気が、比較的、よく残っている地域の風景例。
写真以下6枚。この日の昼食は、松本(matsumoto)の中心地の、古い町並みの雰囲気が、比較的、よく残っている地域で、適当に目に付いて入った、イタリア料理とフランス料理に、少し創作の要素を加えたと言った感じの料理を出す、カジュアル(casual)な雰囲気の、小ぢんまりとした、西洋料理レストランで食べました。このレストランは、この時、初めて利用しました。
写真以下6枚。このレストランで食べた、この日の昼食。
付け合せ(side dish)の、サラダ(salad)。一人一皿ずつ。
彼女が食べた、メイン(main)料理。信州(shinshu)pork(長野(nagano)県産の、豚肉。ちなみに、信州(shinshu)は、長野(nagano)県の別名です)の、ロースト(焼き物)、林檎(紅玉林檎。長野(nagano)県は、林檎の、主要な産地となっています)とタイム(thyme)のソース(sauce)。
写真以下3枚。私が食べた、メイン(main)料理。牛肉(ヒレ肉(fillet))の、タリアータ(tagliata)、ステーキ(beef
steak)、信州(shinshu)味噌(長野(nagano)県産の味噌。長野(nagano)県は、味噌の主要な産地となっています)のソース(sauce)。
デザート(dessert)。ちょっと忘れましたが、ラ・フランス(西洋梨)の、シャーベット(sorbet)だか、ジェラート(gelato)だったかな。。。一人一皿ずつ。
このレストランは、メイン(main)料理以外の物は、まあ、普通から並(普通よりも、少し落ちる)と言った感じでしたが、メイン(main)料理の肉は、とても、美味しかったです。ちなみに、松本(matsumoto)と言えば、鯛萬(taiman)と言う、松本(matsumoto)の、比較的、歴史の古い(1950年創業の)、有名な、高級フランス料理レストランは、いつか、利用して見たいと思っています。
写真以下。この日の夜、別荘で食べた、おやつ。全て、松本(matsumoto)の中心地の、古い町並みの雰囲気が、比較的、よく残っている地域にある、歴史が古そうな、菓子店(基本的に、和菓子(日本伝統菓子)店だが、一部、西洋菓子も、製造・販売している)で買った、お菓子。全て、美味しかったです。
御殿(goten)餅。大福(餅で、甘い餡を包んだ菓子)系の、和菓子(日本伝統菓子)です。松本(matsumoto)城(castle)(松本(matsumoto)を統治していた、地方領主(地方領主家))に、納められていた、お菓子のようです。
クッキー(cookie)菓子。
和菓子(日本伝統菓子)の、一種。