参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「日本には、もちろん公営美術館も全国に、たくさんありますが、私営美術館も、全国たくさんあり、私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開する目的の物です。この様に、日本全国に、たくさんある私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開している物ですが、中には、中々、質の高い、美術品を、収蔵、公開している私営美術館も、かなりあり、(入場料こそ取られるものの)、一般庶民もこうした収集品を見る事が出来て、公立の美術館・博物館以外でも、質の高い美術品に身近に接する機会が与えられていると言う点で、利益を受けています。」
Panasonic、汐留(shiodome)美術館(旧(かつての)、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum)(東京都心部でも中心的地域の東南部に位置する)は、Panasonicが、運営する、私営の、博物館・美術館の一つで、小規模な美術館です。Panasonic、汐留(shiodome)museumは、かつては、Panasonic電工(denko)が運営する、私営の美術館、Panasonic電工(denko)、汐留(shiodome)museum(元々は、松下(matsushita)電工(denko)、汐留(shiodome)museumと言う名前であった)でしたが、2012年に、Panasonic
が、Panasonic電工(denko)を吸収合併した事に伴い、Panasonicが、運営する美術館となり、名前も、Panasonic、汐留(shiodome)museum(現在は、Panasonic、汐留(shiodome)美術館と言う名前)に変わりました。Panasonic、汐留(shiodome)美術館のコレクション(collection)の中心は、ルオー(Georges
Rouault)の作品となっており、Panasonic、汐留(shiodome)美術館は、ルオー(Georges
Rouault)の作品の充実したコレクション(collection)を有しています(おそらく、Panasonic電工(denko)の、かつての会長が、ルオー(Georges
Rouault)が好きであった為。。。)。ちなみに、Panasonic、汐留(shiodome)美術館は、ルオー(Georges
Rouault)とは関連性の薄い展覧会(exhibition)が開催されている時は、ルオー(Georges
Rouault)の展示作品は、とても少なくなるので、Panasonic、汐留(shiodome)美術館に、ルオー(Georges
Rouault)の作品を見に行く場合は、Panasonic、汐留(shiodome)美術館で、ルオー(Georges
Rouault)関連の、展覧会(exhibition)が、開催されている時に、訪れるのが、お勧めです。
去年の8月の第4日曜日(以下、この日と書きます)は、前日に我が家に泊まった彼女と、私も彼女も、ちょっと気になっていた、この時、Panasonic、汐留(shiodome)美術で行われていた、「ピクチャレスク(picturesque)陶芸」と言う、展覧会(exhibition)を見て来ました。
Panasonic、汐留(shiodome)美術館、及び、この時、Panasonic、汐留(shiodome)美術で行われていた、「ピクチャレスク(picturesque)陶芸」と言う、展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
パナソニック汐留美術館 アート陶芸展→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/4010005?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下13枚。この時、Panasonic、汐留(shiodome)美術館に置いてあった、チラシ(leaflet)より。
世界救世教(Church
of World Messianity)は、日本の新興宗教の一つで、岡田 茂吉(okada
mokichi)(1882年生まれ。1955年に亡くなる。日本の、実業家・宗教家)が、1935年に創設した、宗教です。ちなみに、私は、世界救世教(Church
of World
Messianity)は、全く興味がありません。私も彼女も、慣習として、初詣(hatsumoude)(新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習)をしたりしますが、無宗教者(信仰する宗教も持たない者)です。
世界救世教(Church
of World Messianity)は、世界救世教(Church of World Messianity)及び、岡田 茂吉(okada
mokichi)のコレクション(collection)の、美術品・工芸品を収蔵・公開している美術館を、東京近郊の保養地と、東京圏周辺の保養地に、2つ運営しています(1952年開館と1957年に開館)。
東京黎明アートルーム(TOREK
MUSEUM OF ART)は、中野(nakano)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)にある、岡田 茂吉(okada
mokichi)の、美術品・工芸品の、コレクション(collection)を公開する展示施設(2005年開館)です。
柴田 是真(shibata zeshin)(1807年生まれ。1891年に亡くなる)は、19世紀前半(1820年代)から19世紀後期にかけて活躍していた、日本の、日本伝統画家、漆(lacquer)工芸職人です。
写真以下3枚。東京黎明アートルーム(TOREK
MUSEUM OF ART)で、去年の9月15日から去年の10月31日にかけて開催されていた、柴田 是真(shibata
zeshin)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、チラシ(leaflet)より、この展覧会(exhibition)の展示作品例。全て、柴田
是真(shibata zeshin)の作品です。
右上から、時計回りに、19世紀前半から19世紀中期の作品(の部分)、19世紀後期の作品(の部分)、1854年の作品(の部分)、1853年の作品(の部分)。
上側、左から、19世紀前半から19世紀中期の作品、19世紀前半から19世紀中期の作品(これは、印籠(inrou)(外出する際や旅行する際に、薬等、小さな物を入れて、携帯する容器)です)、19世紀後期の作品、19世紀前半から19世紀中期の作品。
真ん中、右側、右上から時計回りに、1887年の作品、19世紀中期から19世紀後期の作品、19世紀中期から19世紀後期の作品、1853年の作品(の部分)。
柴田 是真(shibata zeshin)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
柴田 是真(shibata zeshin)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/4009993?&sfl=membername&stx=nnemon2
柴田 是真(shibata zeshin)(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/4009993?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館(以下、略して、菊池(kikuchi)美術館と書きます)に関する説明は、菊池(kikuchi)美術館のsite等を参考にしました。
菊池(kikuchi)美術館(東京都心部でも、中心的な地域の南西部に位置する)は、炭鉱経営の実業家であった、日本の実業家、菊池(kikuchi)寛実(kanjitsu)(1885年生まれ。1967年に亡くなる)の娘であり、おそらく、日本(及び、世界)有数の、日本の、現代、陶芸作品の、個人、収集家(collector)である、菊池(kikuchi)智(tomo)(1923年生まれ。2016年に亡くなる。日本の、現代、陶芸作品のコレクター(collector))が収集した、陶芸作品の、コレクション(collection)を公開する為に、かつての、菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅(おそらく。。。)の敷地に、2003年に開館した美術館です。菊池(kikuchi)智(tomo)は、第二次世界大戦中、東京から、地方に、疎開(下の補足説明参照)した際に、炭鉱を経営していた父、菊池(kikuchi)寛実(kanjitsu)が、(第二次世界大戦中の)強制徴用で、(菊池(kikuchi)寛実(kanjitsu)が経営する)炭鉱に働きに来ていた、瀬戸(seto)(日本を代表する、陶磁器の産地の一つ。日本の中部地方(名古屋(nagoya)都市圏)に位置する)出身の、陶磁器職人の為に作った、登窯(陶磁器を制作する為の窯)を訪れた事を、きっかけに、陶磁器に興味を持ち、第二次世界大戦後の、1950年代中期頃から、陶磁器の収集を始め、後に、日本(及び、世界)有数の、日本の、現代、陶芸作品の収集家(collector)となりました。
疎開:戦争中、空襲の被害から逃れる為、空襲の被害を受け易い、大都市や中都市(中規模程度の人口の都市)の中心部を離れ、郊外や田舎に、一時的に滞在若しくは、一時的に移り住む事で、第2次世界大戦中、空襲の被害が大きかった、日本とヨーロッパでは、盛んに、行われました。比較的裕福な層は、郊外や田舎に、家を購入して移り住んだり、(元々保有していた)郊外や田舎の別荘に滞在する事が可能でしたが、庶民は、(田舎から大都市に出て来ている場合等は)実家を頼るか、若しくは、親戚を頼るか、学校疎開(学校毎の疎開)に、子供を送るしかありませんでした。
菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
菊池美術館・50年代陶芸展他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3836519/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
菊池美術館・50年代陶芸展他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3836518/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
藤本 能道(fujimoto yoshimichi)(1919年生まれ。1992年に亡くなる)は、1940年代中期頃から活躍していた、日本の、伝統的な、陶芸家です。
藤本
能道(fujimoto yoshimichi)は、若い頃、富本 憲吉(tomimoto
kenkichi)(1886年生まれ。1963年に亡くなる。1910年代から活躍していた、日本の陶芸家)の助手を務め、富本
憲吉(tomimoto
kenkichi)が習得していた九谷(kutani)焼(下の補足説明を参照)系の、色絵磁器(磁器の表面に、絵の具で模様を描いた磁器)の技法を学びました。
九谷(kutani)焼:石川(ishikawa)県(北陸地方(日本の中部地方の北西部)に位置する県の一つ)の伝統的な磁器。
九谷(kutani)焼に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
九谷焼→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/4009992?&sfl=membername&stx=nnemon2
九谷焼(韓国語)→
https://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/4009992?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、「」内。藤本 能道(fujimoto yoshimichi)に関する説明。基本的に、菊池(kikuchi)美術館の公式より。
「藤本
能道(fujimoto
yoshimichi)は、絵の具の濃淡でモチーフ(題材)を立体的に描き、それを白磁の肌と一体化させて見せるために、背景を表す技法として「釉描加彩(yuubyoukasai)」と言う技法を開発します。主なモチーフ(題材)は鳥です。色絵(磁器の表面に、絵の具で模様を描いた磁器)の魅力は、絵の具や釉薬の重なりによる層状の表現にありますが、藤本
能道(fujimoto
yoshimichi)は、鳥を描いた絵の下層に水彩画のような淡い景色を表す事で、器の奥へと広がる写実的な、それでいて、焼き物(陶磁器)の文様としての抽象性も有する独自の表現を生み出したのです。」
写真以下2枚。菊池(kikuchi)美術館で、この時、開催されていた、藤本
能道(fujimoto
yoshimichi)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、チラシ(leaflet)より、この展覧会(exhibition)の展示作品例。全て、藤本
能道(fujimoto yoshimichi)の作品です。
1990年の作品。
上側、左から、1976年の作品、1991年の作品、1974年の作品。下側、左から、1990年の作品、1991年の作品、1979年の作品。
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
新宿(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)は、我が家に、最も近い繁華街の一つであり、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、新宿駅までは、通勤電車で5分程です。
(新宿にある)新宿副都心は、(主として)1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区です。新宿副都心は、1970年代に開発された日本で最初の200m級超高層ビル群です。
損保ジャパン(sompo
japan)は、安田火災海上保険(前身である、東京火災保険は、1888年創業)と日産火災海上保険(1911年設立)と言う二つの損害保険会社が、合弁して2002年に発足した、損害保険会社で、損保ジャパン(sompo
japan)発足前は、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルは、安田火災海上保険本社ビル、損保ジャパン(sompo
japan)美術館(現在のSOMPO美術館。以下、SOMPO美術館と書きます)は、安田火災美術館でした。損保ジャパン(sompo
japan)は、安田火災海上保険時代から、日本有数の損害保険会社です(日本で、3本の指に入る損害保険会社)。SOMPO美術館は、新宿副都心に、安田火災海上保険の新本社ビル(現在の損保ジャパン(sompo
japan)本社ビル)が完成した1976年に、安田火災海上保険が、社会貢献の一環として、同ビルに開館(open)した、私営の美術館です。
写真以下4枚。新宿副都心にある、損保ジャパン(Sompo Japan)本社ビル(高さ200m。1976年完成)とSOMPO美術館。
SOMPO美術館は、元々(2019年まで)、損保ジャパン(Sompo
Japan)本社ビルの、ほぼ最上階を占めていた美術館でしたが、2020年に、損保ジャパン(Sompo
Japan)本社ビルの敷地内に建てられた、新しい美術館の建物に移転すると共に、美術館の名前を、損保ジャパン(sompo
japan)美術館からSOMPO美術館に変えました。
写真中央、SOMPO美術館の建物。写真右端、損保ジャパン(Sompo Japan)本社ビル。
手前。SOMPO美術館の建物。奥、損保ジャパン(Sompo Japan)本社ビル。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
SOMPO美術館に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
SOMPO美術館 ゴッホと静物画展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3783480/page/28?&sfl=membername&stx=nnemon2
SOMPO美術館 北欧絵画展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3813592/page/22?&sfl=membername&stx=nnemon2
大正(taisho)イマジュリィ(imagerie)は、日本の近代化以後、第二次世界大戦前まで(主として、1910年代から1930年代頃)の、日本の、(本の)装幀、挿絵、ポスター(poster)、広告、絵葉書等の、大衆(pop
culture)的な複製としての、印刷・版画のデザイン(design)(グラフィックデザイン(graphic
design))、西洋の芸術や、アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)、アール・デコ(Art
Deco)の様式と、日本の伝統を融合させた、独特な美意識のデザイン(design)やイラストレーション(illustration)の事を言います(後半の方の説明は、SOMPO美術館の公式から借りて来ました)。
写真以下6枚。この時、SOMPO美術館で開催されていた、大正(taisho)イマジュリィ(imagerie)の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、チラシ(leaflet)より、この展覧会(exhibition)の展示作品例。この展覧会(exhibition)、ちょっと気になっていたのですが、見逃してしまいました。
写真左側、小林 かいち(kobayashi kaichi)(1896年生まれ。1968年に亡くなる。1920年代から1940年代初めにかけて活躍していた、日本の、木版画家・図案家)の、1925年から1926年頃の作品(右下の方、半分強、切れてしまっていますが、ハート(heart)の形が描かれています)。
右上から時計回りに、高畠
華宵(takabatake
kasyo)(1888年生まれ、1966年に亡くなる。主として、1910年代から1930年代に活躍した、日本の、画家(挿絵画家、グラフィックデザイナー(graphic
designer))の、1929年の作品、竹久 夢二(takehisa
yumeji)(1884年生まれ。1934年に、病気(結核)により、49歳で亡くなる。1900年代末頃から1930年代初めまで活躍した、日本の有名な、画家・グラフィックデザイナー(graphic
designer))の、1925年の作品、橋口 五葉(hashiguchi
goyo)(1881年生まれ。1921年に亡くなる。1900年代から1921年に病気により、急死する(急に亡くなる)近くまで活躍した、日本の、本の装丁(装幀)作家・版画家・近代、日本伝統画家)の、1911年の作品、藤島
武二(fujishima
takeji。1867年生まれ。1943年に亡くなる。1890年代から活躍した、日本の、近代画家(西洋画家))の、1901年の作品。
上側、左から、田中
恭吉(takana
kyokichi)(1892年生まれ。1915年に亡くなる。1910年代前半に活躍していた、日本の、版画家(木版版画家)・文人・芸術家)の、1914年の作品、町田
歌三(machida utazo)(1910年代に活躍していた、日本の、本の装丁(装幀)作家)の1915年の作品、小村 雪岱(komura
settai)(下の補足説明を参照)の、1916年の作品、作者不詳の、1928年の作品(日本の出版物である、「商店図案選集
第1集」(1928年)より)
小村 雪岱(komura
settai):1887年生まれ。1940年に亡くなる。1910年代から1930年代に活躍した、近代、日本伝統画家です。小村 雪岱(komura
settai)は、資生堂(shiseido)(日本の大規模化粧品会社の一つであると共に、日本最大、且つ、日本を代表する化粧品会社(世界でも、有数の規模の化粧品会社)。1872年創業)の、香水瓶(香水の瓶)のデザイン(design)や広告のデザイン(design)も手がけ(小村
雪岱(komura
settai)は、1910年代後半から1920年代初めまで、資生堂(shiseido)の社内(会社員)デザイナー(designer)も務めていました)、また、本の挿絵画家・装幀家、歌舞伎(kabuki)等の日本伝統劇の舞台装置のデザイナー(designer)としても、活躍しました。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、資生堂(Shiseido)に関する参考の投稿。
銀座・資生堂パーラー他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3984178/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
上側、左から、杉浦
非水(suguiura
hisui)(1876年生まれ。1965年に亡くなる。特に、1910年代から1930年代に活躍した、日本のグラフィックデザイナー(graphic
designer))の、1911年の作品、岡本 帰一(okamoto
kiichi)(1888年生まれ。1930年に亡くなる。1910年代から活躍していた、童画家(子供向けの絵の画家)・挿絵画家)の、1924年の作品、小林
かいち(kobayashi
kaichi)の、1920年代から1930年代の作品、作者不詳の、1925年の作品(日本の、楽譜の出版物(1925年)の表紙)。
下側、左から、斎藤
佳三(saito
kazo)(1887年生まれ。1955年に亡くなる。1910年代から1930年代に活躍していた、日本の、図案家・商業デザイナー(designer)・インテリア(内装)デザイナー(designer)・作曲家・舞台美術家・舞台演出家・詩人)の、1924年の作品、水島
爾保布(mizushima
niou)(1884年生まれ。1958年に亡くなる。1910年代から活躍していた、日本の、日本伝統画家・挿絵画家・小説家・漫画家・随筆家)の、1919年の作品、作者不詳の、1930年の作品(1930年の、日本の、出版物より)、作者不詳の、1929年の作品(1929年から1933年にかけて出版されていた、日本の出版物より)。
上側の左、杉浦
非水(suguiura hisui)の、1915年の作品。下側の左、岸田 劉生(kishida
ryusei)(1891年生まれ。1929年に、病気の為、38歳の若さで、亡くなる。1910年代から1920年代に活躍した、日本の、近代画家)の、1922年の作品、下側の右、古賀
春江(koga
harue)(1895年生まれ。1920年代から1930年代初めに活躍した、日本の有名な、近代・現代画家。1933年に、38歳の若さで、病気により亡くなる)の、1931年の作品。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、古賀 春江(koga harue)に関する参考の投稿。
古賀 春江(戦前の日本の画家)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3811148/page/44?&sfl=membername&stx=nnemon2
ホテルモントレ(Hotel Monterey)は、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)を拠点とする、日本の中級classのホテルの、チェーン(chain)で、日本全国に、20のホテルを展開しています。
山王(snno)美術館は、大阪の都心部にある、私営の美術館で、ホテルモントレ(Hotel
Monterey)の創立者(日本の実業家)が、個人の趣味で集めた、美術品のコレクション(collection)を収蔵・公開する為に、2009年に開館した美術館です。山王(snno)美術館は、多様な、質の高いコレクション(collection)を有している様です。山王(snno)美術館は、海外の画家の作品では、ルノワール(Pierre-Auguste
Renoir)、モネ(Claude Monet)、ミレー(Jean-François Millet)、ユトリロ(Maurice
Utrillo)、ムンク(Edvard Munch)、キスリング(Moïse
Kisling)、コロー(Jean-Baptiste-Camille Corot)、シスレー(Alfred
Sisley)、ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)、ボナール(Pierre Bonnard)、ルドン(Odilon
Redon)、レジェ(Fernand Leger)、ロートレック(Henri de Toulouse-Lautrec)、ローランサン(Marie
Laurencin)等の作品を所蔵している様です。
山王(snno)美術館は、春から夏と秋から冬の、一年に2回、コレクション(collection)の中から、展覧会(exhibition)を開催している様です。
写真以下2枚。山王(snno)美術館で、現在、開催中の、4人の、女性画家達の作品の、展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、チラシ(leaflet)より、この展覧会(exhibition)の展示作品例。
この展覧会(exhibition)は、上村
松園(uemura syouen)(下の補足説明を参照)、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)、三岸 節子(mighishi
setsuko)(下の補足説明を参照)、片岡 珠子(kataoka
tamako)(下の補足説明を参照)の、4人の、女性、画家達の、展覧会(exhibition)です。
上村 松園(uemura syouen):1875年生まれ、1949年に亡くなる。1890年代から1940年代に活躍した、日本の有名な、女性、近代、日本伝統画家。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、上村 松園(uemura syouen)に関する参考の投稿。
国立近代美術館 片岡珠子展他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3931690?&sfl=membername&stx=nnemon2
三岸 節子(mighishi setsuko):1905年生まれ。1999年に亡くなる。1920年代から活躍していた、日本の、女性、近代画家。
ちなみに、三岸 節子(mighishi setsuko)の夫は、三岸 好太郎(migishi koutarou)(1903年生まれ。1920年代から活躍し、1934年に、31歳の若さで、病気により、亡くなった、日本の近代画家)です。
以下、三岸 好太郎(migishi koutarou)に関する参考の投稿。
三岸 好太郎他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3851805/page/37?&sfl=membername&stx=nnemon2
国立近代美術館 春祭り他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3941046/page/15?&sfl=membername&stx=nnemon2
片岡
珠子(kataoka
tamako):1905年生まれ。2008年、103歳で亡くなる。1926年、(私立)女子美術学校(1900年創立。現在の、女子美術大学(東京の、芸術系の大学の一つで、私立の、女子大学(基本的に、学生は、女性に限られている)の、芸術系の大学。日本の有名な、芸術系の大学の一つ))を卒業。1920年代半ば頃から活動し、1930年代の終わり頃から、2008年に、103歳で亡くなる近くまで活躍していた、日本の有名な、女性、近代及び現代、日本伝統画家。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、片岡 珠子(kataoka tamako)に関する参考の投稿。
国立近代美術館 片岡珠子展他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3931687/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
マリー・ローランサン(Marie Laurencin)の、1929年の作品。
上側、左から、上村
松園(uemura syouen)の、1916年から1926年頃の作品、上村 松園(uemura
syouen)の、1949年の作品(の部分)、三岸 節子(mighishi setsuko)の、1978年の作品、三岸 節子(mighishi
setsuko)の、1956年頃の作品。
下側、左から、片岡 珠子(kataoka tamako)の、1978年の作品、片岡
珠子(kataoka tamako)の、1985年の作品、マリー・ローランサン(Marie
Laurencin)の、1925年の作品、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)の、1936年の作品。
以下、おまけ。
東京の地下鉄に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
地下鉄博物館・銀座線・丸ノ内線→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3912423/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京の地下鉄(主に地下を走る電車)は、東京メトロ(東京Metro)(公営の性格が強い(主要な株主は、日本の政府と東京都)、鉄道会社)と、東京都(主として、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外によって構成される地方自治体。日本の47の県(prefecture)の内の一つ)の、2つの、組織・自治体によって運営されています。
この日は、地下鉄で、Panasonic、汐留(shiodome)美術館に訪れたのですが、この時、地下鉄駅に置いてあった、チラシ(leaflet)より。この時、行われていた、東京の、日本の国立の3つの美術館、東京都(主として、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外によって構成される地方自治体。日本の47の県(prefecture)の内の一つ)が運営する、4つの美術館と一つのギャラリー(gallery)(全部で、7つの美術館と一つのギャラリー(gallery))と、東京メトロ(東京Metro)の、共同、企画・開催の、地下鉄を使って、美術館を回り、美術作品を、鑑賞しながら、謎を解いて行く、謎解きゲーム(game)イベント(催し)の、チラシ(leaflet)。
以下、「」内。このチラシ(leaflet)より、この謎解きゲーム(game)イベント(催し)のストーリー(話)の始まり。
「大好きな祖母が亡くなり、本棚を整理していたら、祖母が大切にしていた本の中に、1枚の古い紙切れが挟んであるのを見つけた。そこには、謎めいた文が書かれてあった。」
これは、この時、既に開催期間が終了していたので、この時とは、別の時に出掛けた際に、地下鉄の駅に置いてあった物かもしれません。去年の4月4日から去年の8月3日に開催されていた、メトロタイムゲート(Metro time gate)と言う、東京メトロ(東京Metro)の地下鉄・地下鉄駅・地下鉄駅周辺の街を舞台に(東京中心部(東京23区)全体を舞台に)、漫画と街を歩きながらの、謎解きが融合した、謎解きゲーム(game)イベント(催し)の、第二段の、チラシ(leaflet)。