正祖は 60歳還暦を迎えたお母さん 恵慶宮 洪氏の面倒を見て 華城に行って来る行事を
1794年年末から 準備していたと言う
1795年磨き2月 9日から 16日まで進行されたこの日行事は朝鮮時代でその前例を捜すことができない位
意味が大きい行事だった
正祖在位 20周年で 慈殿の年 60歳 正祖のお父さんで 恵慶宮 洪氏のご主人使徒王世子の 旧甲
でありお母さん 恵慶宮 洪氏 60歳還暦にあたる意味深い日だった
正祖は 1794年年末から行事を主観するようになる 壮勇営(王の護衛専担軍隊)を設置して
こちらで勤める高位官吏を任命したし行事に書く 経費のためにシブマンニャングを 宣恵庁(朝鮮時代 大同法
実施によって 大同米 大同布 大同銭の出納を管掌した官庁 )で 整理所に移管させた
行列が過ぎ去る漢江に 舟橋をおく工事が 11日間進行された
行列が過ぎ去る漢江においた 舟橋
国王のお出ましは 4kmに至る盛大な行列だった
馬 1.400マリ随行員 2,000人が動員されたし
1795年磨き2月 9日 昌徳宮で出発して 2日ぶりに 華城行宮に到着した
年寄りたちをお供をするお出ましなので中間に休みながら速度を緩めたから 2日が必要となったと
する
2月 11日 正祖は 華城 郷校を訪問して若い儒生たちに経書を与えながら
学問に力をつくすことを権装荷だった
午後に 華城行宮に帰って来て文科武科試験を受けた合格者を発表した
2月 12日 正祖はお母さん 恵慶宮 洪氏の面倒を見て 顯隆園を参拜した
顯隆園は 正祖のお父さんでお母さん 恵慶宮 洪氏のご主人 思悼世子の墓だ
2月 13日仮宮 奉寿堂で今度行事のハイライト還暦宴を開いた
2月 14日
午前仮宮の正門新風塁で 貧しい民たちに米を分けてやった
落南県で養老ホームを開催したが 正祖はこの日行事に参加したすべての年寄りたちに
仮に 1匹 鳩模様の取っ手が走ったあかざ杖と 杖紐で使う黄色
絹を与えたし午後には仮宮のドックズングゾングで臣下たちと弓術試合をした
2月 15日
国王のお出ましは 肆覲坪 仮宮でお昼を食べて始興仮宮で眠った
その明くる日 昌徳宮に帰って来た
行事を終えて
正祖は先に行事 経費で準備したお金シブマンニャングで残ったことを 乙卯整理穀 と名付けて
全国 郡県に配布して民たちに恩恵が当たるようにした
正祖は行事に関する記録を徹底的に整理するために国立印刷所 鋳字所に 儀軌 庁を設置して
儀軌を 編纂して儀軌の印刷が終われば 恵慶宮を含めた 102ヶ所に配布するようにした
園幸乙卯整理儀軌の本の構成は巻数 1冊本編 5冊否便 4冊皆 8本だ
字は木活字 生生子を倣って作った金属活字 整理字で取ったし
絵は木版画を使った 図式は当時 図画署を主導した 金弘道 画風で表現した
文は檀国大学校 金文識教授の文を参考しました
http://kyu.snu.ac.kr/center/centent/kingdead1_view.jsp?id=1873&type=37
2月 14日夜明け
新豊樓賜米図
貧しい人々に米を分けてやる行事
華城府の市民 539口に米穀 98席 10斗を酒庫
賑恤対象民 4.800余 口に米穀 169石9斗7升と塩 12石12斗8升9合と
おかゆで苦い米穀 9石9斗 2升とわかめ 925立 醤油 1石12斗7升4合を与えた
落南軒養老宴図
元老大臣 15人と 華城 年寄り 384人を招待して 養老宴を施した
落南軒養老宴図
正祖とともに来た元老代わりと 華城 民年寄り 384人を招待して 養老宴を施した
年寄りたちの前に黄色く見えることは杖にかかった黄色い手ぬぐいだ
正祖が 黄色い仮に手ぬぐいを分けてやりながら杖にぶら下げるようにしたと言う
各各前に置かれた食べ物は 正祖 王の食べ物と ような 食べ物で 調えたと言う
一番の前に椅子に座る人は 正祖 王なのに王だから描かなかった
招待を受けた年寄りは
官吏になる人は 70歳以上一般平民は 80才以上
そして官吏になる人一般平民の中に 61歳還暦を迎えた人は特別に招待したと言う
朝鮮時代国王のお出ましは国家的行事だった 正祖は 乙卯園幸で
顯隆園 参拜 お母さん 恵慶宮 洪氏 回甲宴
科挙 試験 (別試) 養老宴 弓術軍事訓練 米配給など多様な行事を開いた
そしてこの行事で 民たちに被害を与えないために臣下たちに何回も 伝教を下げたと言う
要旨は次のようだ
1. 遠い地方に物珍しい食べ物を求めて捧げずに食べ物を贅沢で派手に捧げてはいけない
2. 各 站に個人的に物品を進上する事がないようにしなければならない
3. 妓女 呈才を各 道で抜いてあげずに宮の中で働く医女や針線奴婢の中で
選抜するようにする
4.王にあげる 進饌は 10余器を超えないようにしなければならない
5. 宴会音楽は簡便にさせて楽器はソウルと 華城にあることを使うこと
6. 物心 (季節)が近いので還暦宴と将兵たちのために 10マリ以上 牛を取らずに 進宴に牛肉を
使ってはいけない
7. 随行員たちが下人たちをハム部に連れて通ってはいけない
もしこの法を破る 者があれば処罰する
正祖は 華城 お出ましの 行事でお母さん 恵慶宮 洪氏 還暦宴だけ開いたのではない
回甲宴は 華城で開いた多くの行事の中に一つの行事に経っている
むしろ貧民欠損家庭 (男やもめやもめ親ない子供など )年寄り士武士のための行事が
もっと多かった
行事費用は総 10万両目標したが皆政府の換穀を利用した利子収入であてた
(換穀は 国家が春春窮期の時に穀食を農民に貸し下げと秋秋収に回収して保管する
国家の備蓄穀物だ)
予算 10万両の中に 2万両は (整理穀)という基金を作って農民たちの農業資金で貸し下げと
1万両は済州島貧民たちのために使ったし
また 1万両は 華城の屯田建設費で使った
だから 10万両の中に 4万両は共益のために使ったことだ