前に、kjの他の掲示板で行った、日本丸(nipponmaru)に関する投稿を、再編集した物です。
写真は、全て、前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用です。
横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。
横浜landmark tower。1993年完成、高さ約296mの、横浜の都心部の海沿いにある、超高層ビルです。横浜landmark towerは、24年前に建てられたビルですが、未だに、日本で、2番目に高い、超高層ビルとなっています。横浜landmark towerは、既に、世界的に見れば、ちょっとした、高いビル程度となってしまいましたが、大きなビルではあり、床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(2014年に完成した、アメリカで、一番、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei 101(世界で4番目に背の高いビル。2004年完成)や、Shanghai World Financial Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル。2008年完成。Shanghai Towerは、まだ、完全には、openしていない様です)、上海タワー(Shanghai Tower)(完成したら、Shanghai World Financial Centerを抜かし、中国(香港を含む)で、最も背の高いビルになると共に、One World Trade Center等を抜かし、Burj Khalifaに次いで、世界で2番目に高いビル、Burj Khalifa、(東京の)東京sky tree(2012年完成。高さ634m。東京towerに代わる、東京areaにTV電波を送信する為の、(東京圏の)主力TV電波塔となった、TV電波塔で、東京tower同様、展望台を有し、観光施設の側面も有している)に次いで、世界で3番目に高い建造物となる予定)を上回ります。また、横浜landmark towerの床面積は、近い内に、完全に、オープン(open)する予定の(今年の4月3日に、オープン(open)の予定かな?)、ソウル(Seoul)のLotte World Tower(完成したら(完全にオープン(open))したら、韓国で、1番高いビルになると共に、アメリカのOne World Trade Centerを抜かし、その時までに、上海タワー(Shanghai Tower)が完全に、オープン(open)していなければ、世界で、3番目に高いビル、上海タワー(Shanghai Tower)が完全に、オープン(open)していれば、世界で、4番目の高いビルとなる予定)も、上回っています。
写真以下2枚の帆船。横浜landmark towerの、すぐ下に、保存・展示されている、日本丸(nipponmaru)。日本丸(nipponmaru)(約2,300トン(GT))は、1930年に、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造された、日本の、大型の帆船(sailing ship)です。
写真以下72枚。日本丸(nipponmaru)。
日本丸(nipponmaru)(約2,300トン(GT))は、日本の、大型の帆船(sailing ship)で、1930年に建造されました。日本丸(nipponmaru)は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として建造されましたが、(新しい、より大きな練習用の帆船(日本丸(nipponmaru)二世。日本の帆船。世界でも有数の高速帆船)が建造され、1984年より使用されている為)、現在は使われておらず、この地で(横浜の都心部の海沿いで)、永久保存されており、入場料(安い)を支払う必要がありますが、誰でも、内部が見学出来る様になっています。ちなみに、日本丸(nipponmaru)と同時期に建造された、日本丸(nipponmaru)の姉妹船として(日本丸(nipponmaru)と同型の、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船として)、1930年に建造された、日本の、大型の帆船(sailing ship)、海王丸(kaioumaru)がありますが、海王丸(kaioumaru)は、現在は、富山(toyama)県(北陸(hokuriku)地方(日本の中部地方の北西部)に位置する県の一つで、北陸(hokuriku)地方の東部に位置する)の港に、永久保存されています。
日本丸(nipponmaru)は、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)(下の補足説明参照)の、すぐ前に、保存されており、実質的に、横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の展示物の一部と言った感じになっています。
横浜みなと博物館(横浜minato博物館):横浜の都心部の海沿いにある、横浜市が運営する、横浜の港の歴史に関する資料館(規模の、小さな博物館)。
横浜みなと博物館(横浜minato博物館)の、パンフレット(leaflet)より。。。写真上側。日本丸(nipponmaru)の、全ての帆を広げる、催しが、年間、約12回、実施されています。写真下側。海を走る、日本丸(nipponmaru)の姿(これは、間違っていたら(合成写真でなかったら)申し訳ありませんが、イメージ写真(合成写真)かも。。。)。
日本丸(nipponmaru)は、1930年から、1984年に引退するまでの、54年間に、11,500名の、商業用の船の船員を育て、この間、地球を、45.4周する距離(延べ、183万km)を航海しました(横浜みなと博物館(横浜minato博物館)のパンフレット(leaflet)より。。。)。
写真以下5枚。日本丸(nipponmaru)の外観。
写真以下68枚。日本丸(nipponmaru)(以下、主に、この船と書きます)の内部等。日本丸(nipponmaru)は、約87年前に建造された船ですが、やはり、古い船は、趣がありますね。
日本丸(nipponmaru)は、横浜landmark towerの、すぐ下に保存されています。
写真以下2枚。将来、商業用の船の船員となる、商業用の船の船員を養成する学校の生徒の部屋。生徒の部屋は、共同部屋となっています。
この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船なので、写真の部屋は、この船の、教室の一つ。
日本丸(nipponmaru)は、帆船(sailing ship)ですが、機関(エンジン)も付いていて、機関(エンジン)で航行する事も可能となっています。
写真以下4枚。この船の調理室。
この船が、現役で使われていた頃の、ある日の(1973年5月20日)の、食事の献立。おそらく、(当たり前の事として、献立には書かれていませんが)、(間食・夜食以外の)何れの食事も、ご飯(rice)又は、パンが付くと思います。朝食は、味噌汁(miso
soup)、生卵、味付け海苔、佃煮(tsukudani。魚、貝類、海老等を、砂糖、醤油等で、甘辛く、煮つめた(よく煮た)、煮物食品)、漬物。昼食は、ハム(ham)サラダ(salad)、鯖の焼き物、お吸い物。夕食は、ローストチキン(roast
chicken)、魚(太刀魚)の焼き物、中国風スープ(soup)。間食・夜食は、ハッサク(日本原産の、大型の、蜜柑類の果物の一つ)、サンドイッチ(sandwich)、インスタント(即席の。お湯を使って、簡単に出来る)ラーメン(instant
noodle)。これは、おそらく、生徒向けの食事の献立であると思いますが、先生(航海士等)や船長向けの献立(食事の内容)が、生徒向けの献立(食事の内容)と、同じであったのかは、分かりません。参考に、軍隊に関しては、第二次世界大戦以前の、日本の海軍においては、船での、士官と、一般の兵隊の食事の内容は、全く、違った様ですが、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に当たる。近代の、日本の海軍(1872年から1945年)の、形式的な伝統は、ある程度、引き継いでいる。おそらく。。。)の、現代の、船での食事は、士官の食事も、一般の自衛隊員(一般の兵隊)の食事も、(食器が異なる位で)、内容は、基本的に同じな様です(おそらく。。。間違っていたら、済みません)。第二次世界大戦後の日本は、何でも、階級格差を消滅させようとする動きにあったので、日本丸(nipponmaru)においても、おそらく、少なくとも、第二次世界大戦後においては、生徒の食事も、先生(航海士等)や船長の食事も、(異なるとしたら、ほとんど、食器位で)、基本的に、同じであったのではないでしょうか。。。
写真以下2枚。この船の、調理員(料理を作る部門の担当の人々)の部屋。共同部屋となっています。もちろん、料理長(chef)は、しっかりとした資格を持つ、専門の料理人が雇われていたと思いますが、調理員(料理長(chef)の指揮の下で料理を作る、料理を作る部門の担当の人々)は、生徒の中から選ばれたのか、それとも、専門の従業員が雇われていたのかは、よく分かりません。
この船には、もちろん、専門の医師(医者)が乗船していましたが、写真の部屋は、医師(医者)を補佐する、看護長の部屋。個室となっています。
写真以下11枚。この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、写真以下11枚は、この船を、一つの学校として見た場合、先生に当たる、しっかりとした資格を持つ、航海士等の、部屋の例です。先生に当たる人々(航海士等)の部屋は、全て、個室となっています。
写真以下2枚。三等、航海士の部屋。
写真以下3枚。機関部員(おそらく、機関部門担当の生徒)12人を束ねる、操機長の部屋です。
写真以下3枚。通信長の部屋です。無線室で、遭難等の、重要な通信があると、自動的に警報が鳴る、緊急自動受信機が、特別についています(展示の説明より。。。)。
写真以下3枚。一等、航海士の部屋(記憶が曖昧ですが、確か。。。)。
写真以下7枚。船長の部屋。前述の通り、この船は、商業用の船の船員を養成する学校の練習用の船でしたが、この船を、一つの学校として見た場合、船長は、校長先生に当たります。船長の部屋は、二部屋に分かれています。
写真以下3枚は、船長の執務室として使われていたと共に、寄港地において、来客の応対・接待をする部屋として使われていた部屋です。
写真以下2枚。船長の、個人的な部屋です。
写真以下2枚。船長の部屋の、バスルーム(bathroom)。この船は、おそらく、船長の部屋以外は、バスルーム(bathroom)は、全て、共同のバスルーム(bathroom)ですが(おそらく、体を洗う施設は、シャワー(shower)位しか付いていない)、船長の部屋には、風呂(浴槽)が備わった、個人的なバスルーム(bathroom)が付いています。
写真以下5枚。この船の、船長(校長先生に当たる)と、航海士等(先生に当たる)が、食事、会議、娯楽、社交等に使っていた部屋です。
写真以下3枚の、帆船(sailing ship)は、日本丸(nipponnmaru)二世です。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT))は、日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航。横浜の都心部の海沿いに、永久保存・展示されている)の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)で、1984年に使用が開始されました。姉妹船に、海王丸(kaioumaru)(1930年就航。日本丸(nipponnmaru)の姉妹船の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship))の後継の、日本の、商業用の船の船員を教育する為の帆船(sailing ship)、海王丸(kaioumaru)二世があり、日本丸(nipponnmaru)二世は、海王丸(kaioumaru)二世と共に、世界でも、有数の高速帆船となっています(wikiより。。。)。
写真右側の船が、日本丸(nipponnmaru)二世。
写真以下2枚。日本丸(nipponnmaru)二世(約2,600トン(GT)。1984年就航)。日本丸(nipponnmaru)(約2,300トン(GT)。1930年就航)よりも、少し、大きいです。